レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年06月14日
- 登録日時
- 2020/11/03 11:14
- 更新日時
- 2021/03/24 12:24
- 管理番号
- 1877411
- 質問
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解決
三嶋大社の西側に「祓所神社」があり、「浦島神社」と呼ばれている。どうして「浦島神社」と呼ばれているのか?浦島太郎と関係があるか。
- 回答
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卜部(うらべ)と呼ばれる人たちが住んでおりこの地域の旧地名が浦町(裏町)という。その地名からきたのではないか。浦島太郎と関係があると記した資料は見つからない。
- 回答プロセス
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『三島市誌』、『三嶋大社(略史)』、『三島アメニティ大百科』(出典の資料確認したがはっきりしない)。
『三島いまむかし3』(秋津亘著)に豆州志稿を出典とする文章あり。
『増訂豆州志稿』を確認したが、旧記からとあるがそれ以上の出典不明。浦島のいわれ記載ない。
『ふるさと三島(』土屋寿三著)旧地名の「うら町(後町・裏町・浦 町と町名変遷)」からとの記載あり。出典不明。
『伊豆三島大社』「国司および在廳が潔祓して本社の祭典に・・」と記載。
『史話と伝説 伊豆、箱根』「奈良時代には亀卜を業とする占部氏の氏神であったのかもしれない」三嶋暦の解説の部分に記載あり。
『MIRA通信』「三嶋大社に参拝する人々を御祓いしたりするために、卜部と呼ばれる人達が住んでいた場所をウラマチといい、当時はその辺が島であったので、ウラベが住む島、ウラシマから浦島神社といわれた・・」記載あり。
三島の昔話、祖母から孫へ等確認したが、浦島神社が浦島太郎と関係あるという説は見つからない。
『ふるさと探訪』に旧三島宿裏町(浦町とも書く)の氏神と記載あり。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
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- 三島市郷土資料館(資料なし)
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000289070