『暦の大事典』(朝倉書店 2014)p.425には、大正2年、銚子無線電信局から日曜を除く毎日、東京天文台から有線で送られてきた時刻符号を午後9時以降1分毎に5回発信する分報時があり、大正5年には船橋無線電信局が開局し、同時発信を始め、大正11年毎日午後11時、学用報時が発信されたとのことなどが記載されている。『日本大百科全書 21』(小学館 1988)p.329「報時」の項にも船橋無線電信局の無線報時についての記述がある。
『時と暦』(青木信仰/著 東京大学出版会 2013)p.49-50には、大正14年には夜間のみならず午前11時以降1分毎の5回も発せられたことや、大正13年には船橋局は東京中央電信局舎内に移され、名称も東京無線電信局となったことが記載されている。
船橋無線局からの報時に関連して、インターネットでは、「學用報時の受信及び計算法」(「天界12巻137号」天文同好會 1932 p.297-301)(
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/162252/1/tnk000137_297.pdf 2017.10.20確認)、松代昭三/著
「JCC報時の廃止について」(「日本時計学会誌 9号」日本時計学会1959 p.25-27)(
http://ci.nii.ac.jp/els/contents110002778088.pdf?id=ART0003085704 2017.10.20確認)を見ることができる。
船橋無線電信局については、『船橋のあゆみ』(船橋市郷土資料館 2008)p.55によると、大正4年に塚田村行田新田(現在の行田団地)に船橋海軍無線電信所が完成し、大正5年に逓信省の船橋無線電信局が併設されたとあり、p.56には写真も掲載されている。