レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/3/13
- 登録日時
- 2019/12/14 00:30
- 更新日時
- 2019/12/27 16:49
- 管理番号
- 葛中-2019020
- 質問
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解決
現在の東京拘置所はかつて煉瓦製造所だったと聞いた。その成り立ちとその後の変遷について知りたい。
- 回答
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『葛飾区史増補中巻』、『葛飾区史跡散歩(東京史跡ガイド22)』、『東京人-特集:葛飾区を楽しむ本-2012年3月増刊』、葛飾区ホームページによると、文明開化による明治初期の市街地改造、洋風化により煉瓦の需要が増えました。1872(明治5)年に小菅村に設立された煉瓦製造所は、英国人技師ウォートルスの指導によるホフマン式の輪かまどを用いて、良質の煉瓦を日本で初めて大量生産できるようになりました。
その後、1879(明治12)年に官営となり、1877(明治10)年の西南戦争で敗れた賊徒を多数収容し作業として煉瓦を焼かせました。『葛飾区史増補下巻』によると、1878(明治11)年に獄舎を建設し、小菅監獄と名づけられましたが、1922(大正11)年に小菅刑務所に改められ現在は東京拘置所となっています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- セラミックス.窯業.珪酸塩化学工業 (573 9版)
- 参考資料
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1 『葛飾区史 増補 中巻』 葛飾区役所/編 葛飾区役所 1985,p.1032-1038
2 『葛飾区史 増補 下巻』 葛飾区役所/編 葛飾区役所 1985,p.455-457
3 『葛飾区史跡散歩(東京史跡ガイド 22)』 入本英太郎著 橋本直子著 学生社 1993,p.145-148
4 『東京人 2012年3月増刊-特集:葛飾区を楽しむ本-』 都市出版 2012,p.52-54 - 葛飾区工業の歴史:http://www.city.katsushika.lg.jp/tourism/1000066/1004930/1004950.html(最終確認日:2019年12月27日)
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1 『葛飾区史 増補 中巻』 葛飾区役所/編 葛飾区役所 1985,p.1032-1038
- キーワード
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- 葛飾区,工業,歴史,小菅煉瓦製造所,東京拘置所
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000270246