レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年09月30日
- 登録日時
- 2017/04/05 18:42
- 更新日時
- 2017/11/24 14:24
- 管理番号
- 四万十市-2015-001
- 質問
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未解決
松山正堅(文治)と松山近の墓の場所と亡くなった歳などが知りたい。
- 回答
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『土佐偉人傳』『高知県人名事典』『高知県人名事典新版』は松山深蔵(正夫)については記載あり。『土佐の墓』には情報なし。松山深蔵(正夫)の記載によると父、正堅は高岡郡北川村(高岡郡東津野北川)の庄屋の家。
『土佐偉人傳』p271に松山深蔵(正夫)についての記載あり。「遠祖津野家家臣蔵人助父正堅梼原庄屋を務む天保八年津野山郷北川に生る」とあり。
『東津野村史 上・下』上巻p330に松山正堅の没年あり。明治八年八月病死とあり。妻、近の没年、両者の墓所については記載なし。「深蔵は父正堅が北川村庄屋の時産まれ…(略)育ったのは梼原、北川、能津等…(略)。父正堅は梼原村大庄屋であったが借財がで安芸の方に追放になったことがある…(略)。」【p330より引用】
以下、高知県立図書館へレファレンス依頼
『道番庄屋根居(みちばんしょうやねずえ)』幡多郡を除く土佐藩の庄屋の年譜書に梼原の庄屋に「松山氏」はあるが、「正堅」の名前はなし。
『土佐史談 100号記念号 松山秀美先生長寿記念』p2に「曽祖父正堅は梼原の大庄屋であったが、村勢が乱れていたため安芸へ移されたことがある。このあとが先ほどの正哲で高岡郡北川の大庄屋をうけついだ。正堅は後に許されて帰って来た。この正堅も八十七才の長寿である。曾祖母近(ちか)も長寿で秀美少年をうんと可愛がったという方である。」という記述があり。
『梼原史談』25号p26~「梼原番人大庄屋最後の人物について(二宮清/著)」の記述の中に、「松山氏」はあるが「正堅」の名前はなし。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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東津野生まれの幕末志士、松山深蔵(正夫)の父母が松山正堅(文治)と松山近。松山深蔵は松山ヒデミの祖父母。
- NDC
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- 歴史 (2 9版)
- 社会科学 (3 9版)
- 参考資料
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- 土佐偉人傳
- 高知県人名事典
- 高知人名事典新版
- 土佐の墓
- 東津野村史・上 (第7章勤王の志士第4節中心に調査)
- 道番庄屋根居
- 土佐史談 100 p. 2
- 梼原史談 25 p. 26~ (梼原番人大庄屋最後の人物について(二宮清/著))
- 庄屋同盟関係文書(北川文書)
- 勤王者調
- 土佐歴史手帖 県立歴史民俗資料館展示品から
- 梼原町史
- 万朶の桜 千屋一族の勤王
- 明治人名事典
- 郷愁野史
- 高知県人 32巻5・7~11号,33巻2号.
- http://www13.plala.or.jp/shisekihoumon/higashitsuno.htm
- キーワード
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- 松山深蔵
- 松山正夫
- 松山正堅
- 松山文治
- 松山近
- 松山ヒデミ
- 東津野
- 幕末志士
- 墓
- 没年
- 照会先
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- 高知県立図書館
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000214502