レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年10月11日
- 登録日時
- 2020/11/05 17:25
- 更新日時
- 2024/01/15 11:13
- 管理番号
- 横浜市中央2597
- 質問
-
解決
横浜公園の歴史について知りたい。
- 回答
-
横浜公園の歴史について、まとまった記述のある資料をご紹介します。
1 通史
(1) 『ヨコハマ公園物語 中公新書』 田中祥夫/著 中央公論新社 2000.9
p.55-106「第二章 横浜公園の誕生-「安全」な街づくり」
横浜公園の歴史についてまとめられています。
特に、明治7(1874)年の公園起工に至るまでの経緯を、
街づくりの観点から詳細に記述しています。
また、p.66-69「噴水三代」では、公園内に設置された噴水の変遷について
書かれています。
(2) 『横浜の公園史稿 居留地時代から昭和40年代まで』
横浜市公園緑地行政資料調査会/編 横浜市緑政局公園部管理課 2003.1
公園史(二)p.13-33「横浜公園」
横浜公園の変遷が書かれています。
(3) 『横浜の公園史稿 居留地時代から昭和40年代まで 要約版』
村本外雄/原著 横浜市緑政局公園部管理課 2003.1
p.1-4「横浜公園」
1(2)の概要版です。沿革が簡潔にまとまっています。
(4) 『横浜市史稿 地理編』 横浜市役所/著 横浜市役所 1932.12
p.956-962「一 横濱公園」
公園起工前の経緯から、
関東大震災を経て復興した昭和4(1929)年までの沿革があります。
(5) 「横浜公園の変遷と現況」坂上丈三郎
(『都市問題』44巻5号 後藤・安田記念東京都市研究所 1953.5)p.140-144
元治元(1864)年の「元治条約(横浜居留地覚書)」から
昭和28(1953)年までの変遷が時系列でまとまっています。
本記事執筆当時は、公園の大部分が接収解除された直後であり、
p.144に「横浜公園原型復旧費調書」があります。
(6) 『横浜・中区史 人びとが語る激動の歴史』
中区制50周年記念事業実行委員会/編著
中区制50周年記念事業実行委員会 1985.2
「Ⅱ 地区編 第2章 関内地区」の中で横浜公園に関する記述があります。
索引がないため網羅的に確認することは困難ですが、
目次から確認できる項目は次の通りです。
ア p.235-236「公園復興」
関東大震災復興事業の一環として、
野球場や野外音楽堂が建設されたことなどがあります。
イ p.243-244「戦時下の公園1、2」
戦時中の公園利用について書かれています。
ウ p.254-256「横浜公園では」
球場名が「ゲーリック球場」と改められたことなど、
終戦後の公園の様子について書かれています。
エ p.261「フライヤージム」
昭和28(1953)年に伊勢佐木町から横浜公園内に移転した
フライヤージム(米軍のスポーツ施設)について書かれています。
オ p.271-273「横浜スタジアム」
横浜スタジアム建設計画と、それにともなう公園全体の
整備について書かれています。
カ p.285「横浜公園」
本書刊行時点の横浜公園について書かれています。
2 時代別
(1) 計画から創設まで
ア『神奈川県史 資料編15 近代・現代』
神奈川県企画調査部県史編集室/編 神奈川県 1973.3
横浜公園創設に関わる覚書、約書があります。
また、造営と保存に関わる外交文書も収録されています。
(ア) p.304-314「横浜居留地覚書」
元治元(1864)年11月21日調印
(イ) p.346-358「横浜居留地改造及競馬場墓地等約書」
慶応二(1866)年11月23日調印
(ウ) p.639-701「横浜公園造営並保存一件」
イ『横浜開港五十年史 下』 横浜商業会議所/編 名著出版 1973
※明治42(1909)年刊の復刻版
p.153-156「第十 彼我公園(慶應約書第一條)」
慶應の約書で、公園の保存費は日本政府と外国との分担とすることになって
いたが、外国領事が拒むなどの衝突があった等、公園起工までのいきさつが
書かれています。
こちらの資料は、横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」
で閲覧が可能です。
https://archive.lib.city.yokohama.lg.jp/museweb/detail?cls=collect_01&pkey=00002058
ウ『横浜市史 第3巻 上』 横浜市/編集 横浜市 1961.3
p.421-447「一 関内新居留地の埋立と横浜公園の創設」
公園起工までの経緯が、居留地整備の経緯とともに書かれています。
エ『近代都市公園史の研究 欧化の系譜』 白幡洋三郎/著 思文閣出版 1995.3
p.259-284「Ⅲ 初期公園にみる欧化の諸相 1 造園の洋魂和才」
図面や造成費の変遷から、公園創設までの経緯を検証しています。
オ「明治初年の横浜公園植栽案について」白幡洋三郎
(「京都大学農学部演習林報告」第54号 京都大学農学部附属演習林 1982.11)
p.190-208
公園造成にあたり、神奈川県が作成した「費用調書」に付された植栽案について
論じています。本文は下記URLから閲覧が可能です。
京都大学学術情報リポジトリ (KURENAI)
http://hdl.handle.net/2433/191748
(2) 横浜市の管理となるまで
『横浜市史 第5巻 下』 横浜市 1976.3
p.378-415「二 横浜公園内クリケットグラウンド返還交渉」
明治40(1907)年から明治42(1909)年にかけての返還交渉に
ついて詳しく書かれています。この過程で、横浜公園は横浜市の
管理とする方針が固まります。
(3) 関東大震災からの復興まで
『横濱復興誌 第3編 横浜復興誌』 横浜市役所 1932.3
p.105-132「ロ 横濱公園」
p.105-108は震災前の沿革について書かれています。
p.108以降は震災時の様子やその後の復興について書かれています。
この時整備された運動場、音楽堂、児童遊戯場、植栽、噴水などについて、
設備などの詳しい記載があります。
こちらの資料は、横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」
で閲覧が可能です。
https://archive.lib.city.yokohama.lg.jp/museweb/detail?cls=collect_01&pkey=00004745
(4) 横浜スタジアム建設まで
『都市ヨコハマ物語』田村明/著 時事通信社 1989.6
p.97-122「第4章 横浜公園-港崎町遊廓から横浜スタジアムへ」
主に、昭和30年代後半からの横浜スタジアム建設の経緯について書かれています。
Webサイト最終確認日:2023年12月25日
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 衛生工学.都市工学 (518 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000289182