レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/02/19
- 登録日時
- 2020/04/01 00:30
- 更新日時
- 2020/04/01 00:30
- 管理番号
- 6001043272
- 質問
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解決
生國魂神社にある米沢彦八の碑がいつ建立されたのか知りたい。また、碑に描かれた絵の出典を確認したい。
- 回答
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米沢彦八の碑が建立されたのは平成2(1990)年9月のようです。
以下の資料に記述がありました。
・『大阪人物辞典』(三善貞司/編 清文堂出版 2000.11)p.1267
「米沢彦八」の項があり、「平成二年九月、笑福亭仁鶴らが中心になって、生国魂神社(天王寺区生玉町)に、「上方落語発祥之地/米沢彦八の碑」が建立された」と記述されています。
・『上方落語の戦後史』(戸田学/著 岩波書店 2014.7)
「初代米澤彦八の碑」(p.496-498)
「平成二(一九九〇)年九月五日、大阪市天王寺区の生國魂神社境内に於いて、落語・芸能関係者約二百五十人が参列して、初代米澤彦八顕彰碑の除幕式が、六代目松鶴門人会手により執り行われた。」(p.496)
・『なにわ大坂をつくった100人 18世紀〜19世紀<幕末>篇 その素顔を探し求めて』(関西・大阪21世紀協会/
編著 澪標 2019.4)(p.22-27)
「平成2年(1990)、六代目松鶴の五年忌に際して、生國玉神社境内にかつての米澤彦八の盛名をしのぶかのような立派な石碑が建立された。」(p.25)
なお、生國魂神社にある米沢彦八の碑に描かれた絵の出典が明記された資料は見つかりませんでしたが、上記『なにわ大坂をつくった100人 18世紀〜19世紀<幕末>篇 その素顔を探し求めて』のp.24に碑の写真があり、小さいながらも碑に描かれた米沢彦八の絵が確認できます。
その碑の写真を見る限り『鳥羽絵三国志』に掲載されているものが近いように思われます。
『鳥羽絵三国志』に掲載されている絵は以下の資料に掲載があります。
・『なにわ大坂をつくった100人 18世紀〜19世紀<幕末>篇 その素顔を探し求めて』(関西・大阪21世紀協会/
編著 澪標 2019.4)(p.22-27)p.22
・『初代桂文治ばなし 「桂」の始祖・初代桂文治歿後二百年』(桂文我/著 青蛙房 2016.12)p.16
〔事例作成日:2020年2月19日〕
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 大衆演芸 (779 10版)
- 参考資料
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- 大阪人物辞典 三善/貞司∥編 清文堂出版 2000.11
- 上方落語の戦後史 戸田/学‖著 岩波書店 2014.7
- なにわ大坂をつくった100人 18世紀〜19世紀<幕末>篇 関西・大阪21世紀協会‖編著 澪標 2019.4
- 初代桂文治ばなし 桂/文我‖著 青蛙房 2016.12
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 大阪,図・絵
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000279936