レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/02/27
- 登録日時
- 2020/04/01 00:30
- 更新日時
- 2020/04/01 00:30
- 管理番号
- 6001043251
- 質問
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解決
現在、京都府京都市左京区にある「光雲寺」は、もともと大阪にあったと聞いたが、そのことが書かれた資料はあるか。
- 回答
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「光雲寺」は江戸初期まで摂津国天王寺にあり、「光雲寺」は「安国寺(安国光雲寺)」もしくは「芝寺」とも呼ばれていたようです。そのことが分かる資料は以下の通りです。
・『全国寺院名鑑 近畿篇』(全日本仏教会寺院名鑑刊行会/編纂 全国寺院名鑑刊行会 1973)
p.102に「光雲寺(南禅寺北之坊) 臨済宗(南禅寺派)」の項があり、「もと摂津安国寺と称し大阪にあったが室町期の兵乱で荒廃、寛文元年英中が後水尾帝東福門院の帰依をうけ現在地に移転中興」との記述があります。寛文元年は1661年です。
・『新修大阪市史 第2巻』(新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1988.3)
「室町時代の大阪」の章に、鎌倉時代から四天王寺領であった「鷺島荘」についての項(p.496-500)があります。当地の「城福寺」についての記述の中に「光雲寺」に関する記述があります。
「南北朝末期ごろから鷺島荘の城福寺は周辺の田畠を買得、あるいは寄進を受けて寺領を形成していた。」
「[長禄]2年[1458]10月3日、正瑞首座(しゅそ)が一段の田地を春浦宗熈に寄進している。この寄進状の端裏には『天王寺正瑞首座寄進状也』とみえるので、正瑞は天王寺にあった禅宗五山派の霊芝山安国光雲寺で俗に芝寺といわれた禅寺の僧侶であったと思われる。」
「このころには城福寺も禅寺となり、光雲寺僧正瑞首座がこの寺と関係をもち、鷺島荘住民ともかかわりをもっていたものと思われる。」(p.498-499)
・今枝愛真「安国寺利生塔について」『史學雜誌 71(6)』(史学会 1962)p1-32
室町期に一国一寺として設定された安国寺を国別にまとめた表が掲載されており(p.17)、「摂津」については、以下の記述となっています。
寺号「安国(行雲)寺」、所在地「難波天王寺芝(廃寺)」
また、この寺に関する注釈として、「芝寺ともいわれ、霊芝山と号し、寛文六年、洛東に移して再興されたが、現在は廃寺。はじめ光雲寺と称し、開山は規菴祖円(仏光派)で、明徳の初めに諸山に列せられている。(『不二遺稿』下『扶桑五山記』二『慧日山東福寺末寺簿』)」との記述があります(p.20)。
〔事例作成日:2020年2月27日〕
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 10版)
- 参考資料
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- 全国寺院名鑑 近畿篇 改定第3版 全日本仏教会寺院名鑑刊行会∥編纂 全国寺院名鑑刊行会 1973
- 新修大阪市史 第2巻 新修大阪市史編纂委員会∥編集 大阪市 1988.3
- 史學雜誌 史学会 史学会 71(1-6)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000279930