レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/03/07
- 登録日時
- 2020/04/01 00:30
- 更新日時
- 2020/04/01 00:30
- 管理番号
- 6001043257
- 質問
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解決
江戸時代前期の旗本、内藤正勝およびその子である内藤正友はともに大坂定番在任中に死去しており、菩提寺は江戸にある。
関東出身の大坂定番が亡くなった際、火葬にして骨を菩提寺まで持ち帰ったのか、あるいは大坂の寺院に葬ったのかがわからない。大坂定番が在任中に死去した際の様子がわかる資料がないか。
- 回答
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内藤正勝、正友父子が亡くなった際の様子がわかる資料は見つけられませんでした。
内藤父子以外で、大坂定番が在任中に死去した際の様子がわかる資料がないか調べましたところ、次の資料がみつかりました。
・『大坂加番記録 2 徳川時代大坂城関係史料集 明和七年八月~明和八年八月、青屋口加番京極高久』(大阪城天守閣/編集 大阪城天守閣 1999.3)
蜂山藩家老の辻八兵衛が残した明和8年中の記録である『公私用覚書』の翻刻が収録されています。当時八兵衛は、藩主の大坂加番在勤に従って同年8月8日まで大坂にいたと解説にあります(p.292)。
この記録が書かれた時期に、玉造口の大坂定番だった丹羽式部少輔(和泉守氏榮)が死去しており(7月9日)、それに関する記事が含まれていました。
「同日[7月9日]、丹羽式部少輔様御病気御養生無御叶今朝御死去被成候旨、(中略)右ニ付今日直ニ御遺骸御下屋敷江御下り玉造御門〆切ニ相成候由(後略)」(p.227)
「同日[7月18日]、丹羽式部少輔様御遺骸今日酉ノ刻爰元御下屋敷御発棺、播州御墓[菩]提所江御入棺有之由(後略)」(p.234)
その他、大坂定番ではありませんが、江戸時代の大名家の葬制について、次の文献がありましたので、ご紹介します。
・『近世大名葬制の考古学的研究』(松原典明/著 雄山閣 2012.5)
「第二章 近世武家社会における葬制」(p.55-82)では、津藩藤堂家の三代高久の葬送記録が取り上げられています。
江戸で亡くなった高久は、遺命により津にある菩提寺・常住寺に埋葬されましたが、彼の発病から埋葬までを側近が書きとめた史料が残されており、これをもとにした詳細な葬送の次第も記述されています。
〔事例作成日:2020年3月7日〕
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 通過儀礼.冠婚葬祭 (385 10版)
- 参考資料
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- 大坂加番記録 2 大阪城天守閣∥編集 大阪城天守閣 1999.3
- 近世大名葬制の考古学的研究 松原/典明∥著 雄山閣 2012.5
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000279926