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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000249475
提供館
(Library)
沖縄県立図書館 (2110045)管理番号
(Control number)
1002814
事例作成日
(Creation date)
20161118登録日時
(Registration date)
2018年12月28日 00時30分更新日時
(Last update)
2019年01月08日 13時14分
質問
(Question)
台湾に医学留学した人が多かった理由を知りたい。
回答
(Answer)
主に下記p118の「沖縄県では、努力して中学校を卒業しても、県内に就職先は限られ高等学校も大学もなかった。それでもたしかに「日本人」であった彼らは、中等学校を卒業してすぐに比較的安い授業料で進学できる台北医専/附属専門部を進学先に選んだのだった。」の記述を中心に以下の回答をした。



『移民研究 第9号』([琉球大学]沖縄移民研究センター∥[編]、沖縄移民研究センター、2013.9)
 論文「近代沖縄の医療と台湾 沖縄県出身者の植民地医学校への進学」(p97-122)より。

 ○「Ⅴ. 植民地への進学/留学」(p105-110)
p106 「台湾総督府医学校が日本人を受け入れるようになって以来、沖縄県民で医師を志す者の多くが台湾へ渡るようになった。…1922年から1941年までの間に、…本籍地や出身校から沖縄県出身と思われる卒業生は108名にのぼる。」の記述がある。

p110 「すなわち、台湾で医師免許を取得した沖縄県出身者の大多数は、中学校を卒業後すぐに進学できる台北医専あるいは附属専門部を卒業したのだった。」の記述がある。


 ○「Ⅵ. 台湾で医学を学んだ沖縄県出身者」(p110-114)
p112 「伝記や回想録を読むと、台北医専/附属専門を志願したという記述が散見されるのも、奨学金や特待生制度が充実していることのほか、卒業後に沖縄県内で職をみつけやすいことが理由だったと考えられる。」、「沖縄県唯一の医療機関であった医生教習所が1912年に廃止されて以来、沖縄県の住民が医師を志す場合は県外に出るほかに選択肢はなかった。そして医師免許を取得できる教育機関のうち、台北医専/附属専門部の学費が比較的安かったことが、日本本土の学校よりも好まれた理由として挙げられよう。」の記述がある。

p113-114 「県内に医療機関も高等学校もない沖縄県の中学生徒が、より早く安いコストで進学できるという理由から、台北医専/附属専門部への進学を選んだことがうかがわれよう。沖縄医学講習所があった頃は日本本土にも多数の専門学校があったものの…。」、「ところが官立の医科大学に進学するには、高等学校高等科卒業の資格が必要だったため、沖縄県で中学校を卒業してすぐに進学することはできなかった。それと比較すると、台北医専には中学校を卒業してすぐに受験することができ…。」の記述がある。

p114 「植民地台湾と植民地朝鮮の医学専門学校が、沖縄県の中学生にとって、入学資格と学費の両面で現実的かつ有望な進路として認識されていたことが理解できよう。」、「以前から進学や就職を目的として台湾に渡る沖縄県出身者が多かったことから、植民地朝鮮の専門学校と比較すると台北医専/附属専門部がより身近な存在として感じられていたことが考えられる。」の記述がある。


 ○「Ⅶ. 植民地医学校卒業の後」(p114-117)
p116 「終戦直後の混乱期に沖縄の医療を担った医師全員の経歴は知り得ないが、そのうちかなりの数が台湾で医師免許を取得した医師であったと考えられる。」の記述がある。

p117 「1966年当時は、沖縄医生教習所出身の医師も、戦後に本土の大学の医学部を卒業した医師も開業していたが、そのなかでも、出身校として多数派を占めていたのが台北医専/附属専門部の出身者であった。」、「沖縄県内の市町村が奨学金を出してまで台北医専/附属専門部への進学を支援したのは、県内に圧倒的に不足している医師を養成することが急務だったからである。」、「沖縄県内の市町村が奨学金を出してまで台北医専/附属専門部への進学を支援したのは、県内に圧倒的に不足している医師を養成することが急務だったからである」の記述がある。

 ○「Ⅷ. おわりに」
p118 「沖縄県では、努力して中学校を卒業しても、県内に就職先は限られ高等学校も大学もなかった。それでもたしかに「日本人」であった彼らは、中等学校を卒業してすぐに比較的安い授業料で進学できる台北医専/附属専門部を進学先に選んだのだった。」の記述がある。



【付加事項】
p102-105 「沖縄から台湾へ : 山口秀高の軌跡」の項目で、山口秀高氏の尽力により、台湾総督府医学校が開校するまでの経緯の記述がある。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
自然科学  (4)
参考資料
(Reference materials)
移民研究 第9号 [琉球大学]沖縄移民研究センター/[編] 沖縄移民研究センター 2013.9 (p106-118)
キーワード
(Keywords)
医学留学
医学校
進学
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000249475解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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