レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年02月19日
- 登録日時
- 2019/02/20 15:39
- 更新日時
- 2019/03/24 09:57
- 管理番号
- 和図ー18-0041
- 質問
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解決
太平洋戦争後、和歌浦から帰国した連合軍元捕虜からの手紙に、列車が和歌山市内へ入るころ、空襲の廃墟が見えた、和歌浦へは列車で到着したといった記載があった。
1.和歌山駅付近の空襲被災地図はあるか。
2.当時、和歌浦まで鉄道が通っていたのか。
- 回答
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1.和歌山駅付近の空襲被災地図はあるか。
和歌山駅付近のみではないが、『和歌山市戦災誌』(和歌山市/編 1956年)参考資料に市内戦災地区概要図の記載がある。
【調査資料】
(1)『和歌山市史 第三巻 近現代』(和歌山市史編纂委員会/編 1990年)
(2)『和歌山市戦災復興誌』(大阪市都市整備協会/編 1992年)
(3)『和歌山県災害史』(和歌山県/編 1963年)
(4)『和歌山県史 近現代 2』(和歌山県史編さん委員会/編 1993年)
(5)『太平洋戦争と和歌山県』(川合 功一/著 1991年)
(6)『和歌山県の空襲 非都市への爆撃』(中村 隆一郎/著 1989年)
(7)『日本の空襲 6 近畿』(日本の空襲編集委員会/編 1980年)
※(1)(2)の資料には、『和歌山市戦災誌』(和歌山市/編 1956年)の市内戦災地区概要図の記載がある。
2.当時、和歌浦まで鉄道が通っていたのか。
以下の資料に記載がある。
(1)『阪堺電軌・和歌山軌道線』(小林 庄三/著 1996年)
p156「和歌山市にはじめて市内電車が走ったのは明治42年1月である。区間は県庁前(現市役所前)から和歌浦(現和歌浦口)までの4.65キロであった。」
p158「明治42.1 県庁前(後の市役所前)~和歌浦(後の和歌浦口)間 開通
昭和46.1 和歌浦口~海南駅間 廃止」
(2)『南海電気鉄道百年史』(南海電気鉄道株式会社/編集 1985年)
p303「和歌山軌道線は、そもそも、明治四十二年[一九〇九]一月、和歌山水力電気(株)により県庁前[現 市役所前]~和歌浦[現 和歌浦口]間の営業を開始したのが発端である。」
p303「紀州五五万石の城下町に“おらが国の電車”が走ったのは明治四十二年。和歌山市駅から、景勝の和歌浦を経て、昭和四年には海南市まで開通した。」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000251931