レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年01月26日
- 登録日時
- 2018/01/26 13:31
- 更新日時
- 2018/03/29 14:52
- 管理番号
- 和図ー17-0064
- 質問
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解決
和歌山県内で初めて電気設備が利用され始めたのはいつ、どこでか知りたい。
- 回答
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『和歌山県史 近現代 1』(和歌山県史編さん委員会/編集 和歌山県 1989年)「電気事業の発達」p727に
「明治二十年(一八八七)前後から大都市には電灯会社が設立され、電灯が普及し始めたが、和歌山県内では、まず、明治二十三年九月、和歌山紡績会社が大阪電灯より借用した発電機で工場に初めて電灯を点じ、深夜作業を容易とした。もっとも、一般家庭に電灯が出現するのはずっと後のことで、垂井清右衛門らが明治二十七年頃から電灯事業を計画し、ようやく日清戦後の明治二十九年七月、資本金五万二五〇〇円で和歌山電灯株式会社を創設してからであった。この会社は和歌山市畑屋敷松ヶ枝町にGE製六〇キロワット交流発電機二台を据え付け、約一〇〇〇灯に電力を供給できるはずであった。そして明治三十年六月中頃に試点灯を始めたが、その時はわずか六〇〇灯の需要しかなかったという。」
と記載されている。
また、『社史で見る日本経済史 第26巻 和歌山紡織株式会社五十年史』(日本経営史研究所/監修 ゆまに書房 2000年 初版:和歌山紡織株式会社五十年史刊行会 昭和17年刊の復刻)「和歌山最初の電燈と電話」p68-69に
「和歌山に於ける最初の電燈はわが和歌山紡績會社内に點じられた。これは今なほ記憶せられてゐる世人は少くはない。夕方になるとパッと灯がとぼる。實に突如として光明を發する不思議さは實に好個の話題であつたといふ。會社門前の木柱に硝子のほやが金網に包まれて、その中に灯がとぼる下に、見物の群集が毎夜賑つたものであつた。(中略)この米國製云々の機械も實は、最初の電燈を和歌山に點じたものではなく、これは二號工場完成後に所有したるものにして、最初は百五十灯用のものを註文した。然しこれが到着以前に大阪電燈會社より借用したるものが、最初の光明を點じたわけである。時に明治二十三年九月であつた。」
と記載されている。
なお、所在地については、p49に「會社建設敷地として選ばれたる傳法橋南ノ丁の地」、p50に「かくして建築落成した和歌山紡績會社は傳法橋南詰東側一廓の地を占め」、初版奥付の発行所には「和歌山紡績株式會社五十年史刊行會 和歌山市傳法橋南ノ丁三番地」と記載されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000229142