当館では書名に「国絵図」とついた郷土資料の古地図は所蔵していないが、紀伊国の全図が記載された地図として、
1.『六郡の図』(写本 66×70㎝)
を所蔵している。ただし、写本で制作年や作者、用途は不明である。
城下町や高野山領等、部分的に記載された地図は他にも所蔵している。江戸時代の地図の版本は、高野山や和歌浦の資料がある。
他館の所蔵資料でインターネットにおいて閲覧可能な資料として以下がある。
2.『紀伊大和河内伊賀山城伊勢六ヶ国絵図』《国立国会図書館デジタルコレクション》(
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286169 国立国会図書館 2017.8.31最終確認)では注釈に「紀州藩における何らかの使用目的に合わせた縮小・編集図であろう」と記載されている。
3.『〔紀伊国絵図〕』《
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11F0/WJJS07U/3071055100/3071055100200020?mid=mp000006 和歌山大学図書館 2017.8.31最終確認》では、地図に添付された部分に「國校督学臣 伊藤広朝謹製」と記載がある。
4.『〔紀伊国ノ図〕』《
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11F0/WJJS07U/3071055100/3071055100200020?mid=mp000005 和歌山大学図書館 2017.8.31最終確認》
また、紀伊国の国絵図について以下の論文がある。
5.『国絵図の世界』(国絵図研究会/編 柏書房 2005年)p247-250「紀伊国 失われた紀伊徳川家旧蔵資料」
6.前田正明「諸藩で書写された「諸国国絵図」について」(『和歌山県立博物館研究紀要 第五号』p53-72 和歌山県立博物館 2000年)
7.藤本清二郎「明治二年頃「和歌山藩領絵図」について」(『紀州経済史文化史研究所紀要 第21号』p1-12 和歌山大学紀州経済史文化史研究所 2001年)は、明治元年から4年までの時期の和歌山藩の紀伊国内の領地を描いた『紀州御領分之図』と『伊勢国抄図』をあわせて「和歌山藩領絵図」として論じている。
ただし、いずれも幕府への献上や藩での使用のために作成された書写の国絵図について論じられており、「民間人が作製した国絵図」「藩命により刷られた国絵図」については記載がない。
国絵図ではなく城下絵図については、次の論文がある。
8.『近世都市和歌山の研究』(三尾 功/著 思文閣出版 1994年)p145-165「和歌山城下絵図考」に、
「これらの絵図は、藩の公用図として制作された場合もあり、藩士の個人的な利用や、町政にかかわる町役人の使用、または、単なる好奇心による場合もあろう。それらの区別は、一部の絵図を除いて判然としない。和歌山の場合、いずれの図も手書き絵図であって印刷物は見られず、形態として大きな和紙に描かれているために、折図(畳物)として保存されてきた。」
と記載されている。
9.横井精一「若山城下絵図に就て」(『紀州文化研究 第二巻第九号』p24-27 紀州文化研究所 1938年)に、
「明治初年本町知新堂より摺物にて始めて売出したる物あり」
とあるが、所蔵者や資料名は記載されていない。
10.松田茂樹「和歌山古屋敷絵図について」(『きのくに文化財 7』p23-27 和歌山県文化財研究会 1973年)
11.松島由佳「紀州藩士早川家旧蔵「和歌山絵図」概観」(『和歌山県立文書館紀要 第10号』p89-97)に
「早川家になぜ「和哥山絵図」が伝来したのかはっきりした理由はわからないが、同家に残る他の史料などから考え合わせて、藩の役職に関係しているのではないだろうか」
と記載されている。
紀州藩の国絵図について、民間人の作製が許可されていたかどうかがわかる資料は見当たらない。以下の12~15の資料を確認したが、紀州藩内の書肆が江戸時代に出版した地図は「道中記」「案内図」「高野山図」「名所図会」等で、国絵図の制作や出版についての記載はない。
12.『城下町和歌山の本屋さん 「紀伊国名所図会」を中心に』(和歌山市立博物館/編 和歌山市立博物館 和歌山 2003年)
13『帯伊書店ものがたり 紀伊国名所図会とともに』(江本英雄/著 帯伊書店 2017年)
14.須山高明「城下町若山書肆と藩校学習館」(『和歌山大学紀州経済史文化史研究所紀要 第20号』p83-102 和歌山大学紀州経済史文化史研究所 2000年)
15.須山高明「近世紀州書肆出版物編年目録稿 上・下」(『和歌山県立博物館研究紀要 第5号、第6号』和歌山県立博物館 2000-2001年)