レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年11月24日
- 登録日時
- 2017/03/21 17:12
- 更新日時
- 2017/04/27 17:13
- 管理番号
- 2015-0019
- 質問
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解決
江戸末期に活躍した刀鍛冶、大慶直胤(本名:荘司箕兵衛、山形県出身)の歴史を調べています。水心子正秀に弟子入りして、養子の次郎太郎直勝を跡継ぎとして、79歳で亡くなるまで一流の鍛冶として人気があったとあります。生い立ちから亡くなるまでを知りたい。
- 回答
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資料1「山形市史 中巻 近世編」に、
近世の山形の刀工「荘司直胤」(P982~987)として詳細な記載があります。
記載概要は、出生から法名や墓所、師水心子への入門の経緯、秋元藩お抱え刀工となってからの活躍、文政2年筑前大掾及び嘉永元年美濃介の受領、作品の特徴、刀銘、主な門弟等々に関して、詳細な記載があり、名に関しては、初め「箕兵衛」と称し、享和3年8月頃から「大慶直胤」と称した旨等が記載されてあります。
また、鍛刀期間が50年の長きに及び、特色として、刀の茎(なかご)に、作刀地の地名刻印が見られる点や、晩年の作には、故意に1~2才多く記した年齢が添銘されている点等が挙げられています。 また、直胤の項に引続き、「直胤の一門とその子孫」(P987~990)として、「初代直勝」「二代直勝」「三代直勝」「直秀」に関する事項のほか、直胤以降の略系図等が掲載されています。
「水心子正秀」の項(P973~978)の中にも「直胤」に関する事項の記載があります。
資料2「山形市史 別巻2 生活・文化編」に、
「荘司直胤」の項(P72~73)及び「荘司直勝」の項(P73)の記載があります。
記載内容は、上記資料1の内容の一部のほか、直胤には「山形打ち」(郷里山形での作刀)は一振も発見されていない点等が記載されており、そのほか、作品4点と、文政6年に父と祖父母の霊を弔うべく、郷里の鍛冶町淨光寺に建立した墓碑の写真が掲載されています。
資料3「山形の歴史 後篇」 に、
「刀剣の名工庄司直胤」(P217~221)の項があり、作風の特色が詳細に述べられているとともに、銘について「荘司美濃介藤原直胤」「出羽霞城荘司直胤」「大慶直胤」「筑前大掾直胤」「出羽国住人天慶荘司直胤」等と切られていることが記載されています。
資料4「山形県の文化財」 に、
昭和38年12月20日に山形県指定有形文化財に指定された、「刀銘 大慶直胤」及び「脇差 銘 直胤」のカラー写真が説明文とともに掲載されています。
資料5「山形県芸術文化史」にも、
「荘司直胤」(P372~373)の項があります。
資料6「山形県史 要覧」中、
「刀工・金工一覧」に秋元藩刀工としてその名が見えます。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 山形市史中巻近世編/山形市編(K264.1/ヤマ/2)
- 山形市史別巻2生活・文化編/山形市編/(K264.1/ヤマ/ベツ-2)
- 山形の歴史後篇/川崎浩良著/(K264/カワ/2)
- 山形県の文化財/山形県文化財保護協会編/(K709.2/ヤマ)
- 山形県芸術文化史/山形県芸術文化会議編/(K702/ヤマ)
- 山形県史別編4要覧/山形県編/(K209/ヤマ/ベ-4)
- ※( )は自館の請求記号です
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000212410