レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年07月10日
- 登録日時
- 2019/09/27 16:59
- 更新日時
- 2020/01/07 14:31
- 管理番号
- 島根郷2019-07-0001
- 質問
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解決
昭和天皇の第一子・照宮成子(てるのみやしげこ)内親王の乳母に選ばれた辰巳恒子は島根県の出身と聞いた。彼女について詳しく知りたい。
- 回答
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当館所蔵資料より、下記の資料を紹介し回答。
資料1:82号p8-11「辰己栄一中将と大社町」(中山弘三)。辰巳恒子の夫・辰巳栄一についての記事の中に「辰巳夫人の経歴」があり。夫人・恒子は邑智郡桜江町(元・江津市桜江町)の酒蔵(「喜久泉」醸造元)・能見家の次女として生まれる。県立浜田高等女学校を卒業、奈良女子高等師範学校を経て、母校の浜田高女で教鞭をとる。その中、辰巳栄一と婚約し、辰巳が陸軍大学校を卒業後に結婚。三男一女をもうける。昭和天皇の第一皇女・照宮内親王の乳人に恒子が選ばれ、日本の中心的話題となる。戦争激化の昭和19年、家族を伴い大社町(出雲市大社町)に疎開する。昭和23年まで滞在。昭和22年11月30日に昭和天皇・皇后が出雲大社を参拝された折、恒子に声を掛けられたといわれる。
資料2:p34-64「近代皇室における『乳人』の選定過程と変容」(森暢平)。p44に「最終的に選ばれたのは、東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町の辰巳恒子(二三歳)と、神奈川県(略)の平山シズヱ(二二歳)である(一一月二四日発表)」。恒子の島根県の実家は名望家であり、彼女自身は、浜田高等女学校(高女)を卒業したあと、奈良女子高等師範学校に進んだ教育のある女性であった。夫は陸軍大尉で、のちにロンドン駐在武官補佐を務める辰巳栄一である。当時、女子高等師範学校まで進んだ新中間層の女性が乳人に選ばれた前例はなく、貧困層の女性がなるというイメージがあった一般社会の乳母と、皇室の乳人を差別化するものであった、とする。また、乳人の任期は1年間であったが、恒子は1926年(昭和元年)4月に麻疹にかかり入院したため、乳人を辞任した。
資料3:昭和天皇の巡行記録(初版は昭和23年出版)。昭和22年11月29日から12月1日の3日間の島根県行幸。p270-271・出雲大社参拝(11月30日)の際、勅使館で昼食・休憩を取り玄関を出るときに、大社町長が辰巳恒子を紹介したところ、「懐かしそうに『元気だつたかネ』とお尋ねになり、『お子様はおすこやかで』と恐る〱お伺いする夫人に『有難とう、達者でネ』と明るい微笑を投げかけられ」たとする。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (281)
- 系譜.家史.皇室 (288)
- 参考資料
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【資料1】大社史話会 編 , 大社史話会. 大社の史話 第70~83. 大社史話会, 1988.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069348394-00 (当館所蔵資料 092.4/16/70-83 ※禁帯出) - 【資料2】史林 第102巻第2号.史学研究会,2019.3 (当館所蔵資料 雑誌)
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【資料3】瀬畑源 監修・解説 , 瀬畑, 源, 1976-. 昭和天皇戦後巡幸資料集成 第12巻 (鳥取・島根). ゆまに書房, 2018.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I029221178-00 , ISBN 9784843353585 (当館所蔵資料 092.8C/1841/12 ※禁帯出)
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【資料1】大社史話会 編 , 大社史話会. 大社の史話 第70~83. 大社史話会, 1988.
- キーワード
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- 昭和天皇
- 照宮成子
- 東久邇成子
- 乳母
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000261844