レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年04月19日
- 登録日時
- 2019/09/27 16:18
- 更新日時
- 2020/01/07 13:43
- 管理番号
- 島根郷2019-04-004
- 質問
-
伊能忠敬が石見に測量に来た時に、本隊以外に別動隊がいたらしい。測量日記の中に記録されているか。
- 回答
-
当館所蔵資料より、下記の資料を紹介し回答。
資料1:第8次測量(九州第2次)。文化8年(1811)11月~文化11年(1814)5月。九州・中国・中部地方内陸部。巻頭の経路図では石見地方は津和野で、その後広島県の内陸部を経由して大森・温泉津に入り、その後東に向かう。
概要(p3-26)より。p19に「永井隊」が文化10月21日に山口町を出立し、11月6日に津田村(現在の広島県廿日市市)泊、とあり。11月6日の津田村で本隊と合流したと思われる。本隊は10月20日山口町を出立し、宮市町(防府市)、串村(山口市)、秋掛村(岩国市)などを経由し、11月4日に津田林村(廿日市市)入り。
この別動隊を率いた「永井」とは、p3に記述があり。永井充房(要助)。大御番小笠原備後守同心で暦局に出役、高橋景保(天文学者、シーボルト事件で刑死)の手付下役となる。九州第一次測量より参加し、文化10年(7月)に坂部貞兵衛が病死してからは支隊長として伊能忠敬を助けた、とされる。
資料2:p449「◎永井 箱田 保木 佐助 手分向津和野測る」とあり。p452から津和野領入り。10月21日山口町を出立する。28日津和野城下に入り泊。29日津和野城下を出立、吉賀を経由して柿木村泊。晦日に柿木村出立、七日市村泊。11月1日、雨天のため午後出立。六日市村泊。2日濃霧のため逗留、四つ時から測量をし六つ時出立、六日市村に帰宿。3日六日市村出立、防州入り、となる。
別動隊に名前がある人物は資料1(p3-4)に記述あり。箱田真与(良助)。備後国箱田村の人で、伊能忠敬に師事し測量学を学ぶ。九州第1次測量より参加、日本全図の製作が終わるまで測量・地図作成に携わる。のちに榎本氏を継ぐ(榎本武揚は真与の子)。保木永誉(敬蔵)、忠敬の弟子で九州第2次測量より参加。忠敬没後も日本全図の作成を行なった。佐助については詳細なし。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 中国地方 (217 8版)
- 参考資料
-
-
【資料1】伊能 忠敬/[著] , 佐久間 達夫/校訂 , 伊能‖忠敬 , 佐久間‖達夫. 測量日記 第4巻. 大空社, 1998.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I000299323-00 (当館請求記号 289.1/イ/4) -
【資料2】伊能 忠敬/[著] , 佐久間 達夫/校訂 , 伊能‖忠敬 , 佐久間‖達夫. 測量日記 第5巻. 大空社, 1998.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I000299324-00 (当館請求記号 289.1/イ/5)
-
【資料1】伊能 忠敬/[著] , 佐久間 達夫/校訂 , 伊能‖忠敬 , 佐久間‖達夫. 測量日記 第4巻. 大空社, 1998.
- キーワード
-
- 伊能忠敬
- 測量
- 津和野藩
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000261839