狩りに関する資料は見つけることができませんでした。その他、オオカミについて記載がある資料はいくつか所蔵しています。生存については明治生まれの方の聞き取りが多く、生存、信仰のいずれについても各資料における情報量はあまり多くはありませんが、参考までに次に紹介いたします。
①『熊野山海民俗考』野本 寛一/著 人文書院1990
第一章 山の環境と民俗
p65-68「狼の伝承」
6項目とその解説。狼が潮をなめるため海に通った「狼街道」、鬼などの危害から人を守った交換条件に死体を与える約束をし、代々墓を荒らされた家が高倉狼大明神として祀る(ただし三重県ではなく新宮市の話。話者明治39年生まれ)など。
②『伊勢民俗 2巻2号~2巻3・4号合併号,3巻3・4合併号~7巻4号』桑名 伊勢民俗学会1954(複数の号を合綴したもの)
9号p1-3「狼ノ宮について」
・江戸時代の大庄屋文書に残る出没記録
・尾鷲市の「狼除神」の碑と狼ノ宮の信仰
・尾鷲市三木里町の風習「狼祭」
③『奥熊野の民俗 No.1(特集:山の神について) 』紀北民俗研究会 1996
p1-4「狼伝」小倉肇
狼に関連する伝説や矢の浜村の「狼宮」、大内山谷で塩干物を運ぶ際に狼除けの札を提げたこと、明治37年大台ケ原山中でオオカミの死体が発見されたのが最後の目撃例であるなど9項目
④『尾鷲市史 上巻』尾鷲市役所1969
「第三章 近世の尾鷲・八 文化・5 民俗信仰」
p832「狼宮」三木里浦の狼祭りについて。矢浜村の狼宮と講について(明治31年の棟札に狼をここに封じたと記す)。尾鷲大庄屋記録に見られる江戸時代の被害の記録について。
⑤『熊野誌 第1号~第6号』熊野文化会1958-1961(複数の号を合冊製本)
1巻2号p10-15「狼のはなし」橋本嘉文
北山(和歌山県)では現存しているとの記述。現在の尾鷲市で慶應年間に狼が村を襲ったという「群居雑記」の内容の簡単な紹介。
⑥『道中記に描かれた八鬼山越え』三重大学人文学部塚本明研究室2007
p217八鬼山に狼や野犬が出没した。武蔵国の旅人による1835年の記録によると、死体を掘り出して犬が食べているのを見たという。
⑦『伊賀西部山村習俗調査報告書』三重県教育委員会1972
p217「(28)狼」
・吉原で国津神社の神主が夜ついてきた狼に塩をやった。(明治25年の採集で「70年ほど前」とあるので江戸時代の話と思われる)昔は狼が多く、戸口の便所で小便を飲んでいったと云ったものである。
⑧『南勢町・南島町山漁村習俗調査報告書』三重県教育委員会1973
p290-291「(16)狼・狐」
・ヨナゴの奥には昔狼がいたらしく、しばしば声がきこえた
・五ケ所のサンメ(死牛を埋める場所)を通った際に狼が連れ立って埋めた牛を喰いに行くのに出会った。
・五ケ所の人が、狼が鹿を喰いかけているところへ行き合い、皮だけくれと言って皮を剥いでやった。その間おとなしくしていた。
⑨『牟婁地区山村習俗調査報告書』三重県教育委員会 1971
p243-245「狐・狸・狼」
・湯ノ谷の奥では狼が夜のうちに戸外の壺から小便を飲んでいくので、家の中へ小便溜を作った。
・入谷で少年の頃(話者:明治30年生まれ)、田圃道で父親に「これが狼の足跡だ」と教えられた。また祖父が小便壺を見て「また狼が飲んでいった」と言った。
・話者(明治28年生まれ)が20歳くらいの頃、竹ノ平の山小屋住まいの人の後を近所の人の家まで狼がついてきて、近所の人が労いの声をかけるとおとなしく引き返していった。
⑩『三重県北牟婁郡紀伊長島町島原字中桐民俗調査報告書』成城大学民俗学研究会1981
p93-94「3・世間話・狼の話」昔、中桐にはよく狼が出た。常夜燈をつけに行くときに恐くて困った。
⑪『鳥羽志摩の民俗』岩田 準一/著 中村幸昭1970
p236「狼避けの話」夜中に山を越えて越賀村から山田方面へ生魚を運搬していた頃、磯部村から逢坂を越える際によく狼がついた。狼の小便が頭にかかると死ぬとされたため、飛び越されないよう狼避けに帯と褌をつないで背後に長く引いて歩く。
⑫『紀伊熊野市の民俗 育生町、神川町編』熊野市教育委員会/編集,大谷大学民俗研究会/編集 熊野市教育委員会1980
第11章 民間説話
p224-225「送り狼」山へ行った帰りに狼が家まで送ってくれる。草履の片方をやるとくわえて帰っていく。
⑬『紀伊熊野市の民俗 旧泊村・新鹿村・荒坂村編』熊野市教育委員会/編集,大谷大学民俗研究会/編集 熊野市教育委員会1981
14動物伝説
p214「狼茶屋(送り狼)」釣りをしていたら狼が魚を食べて骨が喉に刺さり、抜いてやったところ、それ以来山を越えて帰る際は必ず家まで送り届けてくれた。
⑭『紀伊熊野市の民俗 木本町・井戸町・有馬町・久生屋町・金山町編』熊野市教育委員会/編集,大谷大学民俗研究会/編集熊野市教育委員会1982
10動物伝説
p205「送り狼」毎日狼が化けておじいさんを驚かすのでつかまえて脅すと「チョウ塚まで来たら手を叩いてくれ、毎晩送っていく」と言った。
⑮『紀伊南牟婁郡誌 下巻 復刻』三重県南牟婁教育会/編 名著出版1971
第十一・民俗誌・尾呂志村
p472-473「彌九郎の犬」助けた狼に仔をもらって育てたという伝説。「大阪の戦に出た人」とのことから江戸時代の話と思われる
⑯『熊野古道のMatagi』煌 一成/著 福多出版2007
p11熊野古道の馬越峠にかつてあった茶屋では、ニホンオオカミが生息していた八鬼山を超える際に狼除けの黒色火薬が人気商品であったというエピソード。
※尾鷲市生まれで猟友会所属の著者による小説、参考文献なし
その他、奥熊野の民俗No.7、読みがたり三重のむかし話、伊勢・志摩の民話などに送り狼や狼に助けられた話等の伝説が記載されています。
その他調査済資料(該当情報なし):熊野市史、山の神信仰の研究、伊賀東部山村習俗調査報告書、度会・多気山村習俗調査報告書、伊勢市の民俗、中京民俗18・22・26・29・31、日本の民俗24三重、三木里郷土史