レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20180804
- 登録日時
- 2019/03/14 00:30
- 更新日時
- 2019/03/20 16:08
- 管理番号
- 30001871
- 質問
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江戸時代後期(嘉永3~安政5年)に山田奉行を勤めた山口丹波守直信について、当時の記録や逸話が残っているか。また、直信に言及している図書や論文記事はあるか。
- 回答
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当館の資料において、山口丹波守直信について書かれたものとしては以下のようなものがありました。
・『伊勢山田奉行沿革史』橋本 石洲/著 雲夢園 1977
p303-309 (第二部 歴代奉行の事績)
「四五 山口丹波守直信 家紋 丸に結雁金 自嘉永三年至安政四年 知行 三千石」
※以下約6ページにわたりその事績が紹介されています。(全てが直信の事績というわけではなく、当時起こった出来事なども含まれます。)
・『宇治山田市史 上巻』宇治山田市役所/編纂 宇治山田市役所 1929
p203 (第二 政治篇 > 第二章 神宮御鎮座以後 > 第三節 山田奉行)
「四五 山口丹波守直信 自嘉永三年 至安政四年 知行三千石 役料同前
政道厳密温和仁慈の君子人であつた。
嘉永五年六月廿七日古市に大火あり、奉行出馬して龍吐水の一挺も無いのを認め、向後山田十二郷に各町其の用意すべき様命じた。〔喜多秀親漫録〕
嘉永七年十一月任充つるや、三方惣代足代玄蕃及び役人一人師職年寄三人が江戸に上り、同奉行の留任を幕府に嘆願して望を達した。
安政四年正月、向河崎に火事の際、交通の不便を感じたので、今まで中橋のみなりしを、六月に南北両橋を増架せしめた。」
・『御薗村誌』御薗村誌編纂室/編纂 三重県度会郡御薗村 1989
p243 (第二編 沿革 > 第六章 山田奉行 > 3 歴代奉行とその事績)
「四五 山口丹波守直信
(就任年月/退任年月) 嘉永三年九月/安政五年一月
(履歴大略)内匠。日光奉行より転役。御普請奉行へ転出。
(事績)嘉永5年2月 両宮師職の風紀粛清を令す。
同 5年7月 山田領中の龍吐水設置厳達。
安政2年2月 二見・鳥羽へ海防台場設置。」
・『山田奉行物語』浜口 良光/著 伊勢合同新聞社 1959
p35 (奉行良否)
「四十二代奉行中には良奉行もあり悪奉行もあった。(中略)良奉行と見られるものは左記十九人である。(中略)山口丹波守。
(中略)山口丹波守。この奉行には仁慈の行が多く、非常に人気があつた。嘉永七年任期満ちた時、年寄等要人数人が江戸にゆき、同奉行留任を願つてきゝ入れられ、安政四年迄止まつた。(後略)」
・『神宮近世奉賽拾要 前篇』吉川弘文館 2015
p390-393 (神領歴代記附録 諸覚書留)
「山口丹波守山田奉行トナル、此外雑件」
※この資料は、山田奉行歴代の治績を概ね編年でまとめたもので、当時の出来事などが記されています。ただし個人の備忘のために作成された性格が強いとの解説があります。また本文は翻刻であり、書き下しなどにはなっていません。
・『伊勢山田奉行所』藤林 明芳/著 日本古城友の会 1996
p10-12 「歴代奉行名と任期一覧」 (名前のほか、就任年月と退任年月の記載あり)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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●「山田奉行一覧/伊勢市 http://www.city.ise.mie.jp/4285.htm」…直信が奉行を勤めた期間、および備考。
●「山田奉行所記念館 周辺マップ/伊勢市http://www.city.ise.mie.jp/4286.htm」…「火薬蔵跡」の記述。
●『御旗本物語』(谷有二、1989年)…実はもともと宇和島藩主・伊達宗城について調べていまして、直信は宗城の実兄です。この本には山口家の人々について記述した箇所があり、山田奉行のときの直信についても少し載っております(p.202~205)。
●「御奉行山口丹波守様御永勤江戸寺社奉行所江願書写(嘉永7年)」ほか。「貨幣博物館HP」…上記の書籍に書かれていたことと関連するかも知れませんが、恥ずかしながら古文書を読むことができません。
それと、出典が大分おぼつかず申し訳ないのですが、インターネットで「宇治橋の擬宝珠 山口丹波守」と検索すると、伊勢神宮にある宇治橋の擬宝珠に「山口丹波守 源直信」という銘の刻まれたものがある、という写真付きの記事をいくつか見かけます。
資料には当たらないとは存じますが、一応付記します。
どうぞよろしくお願い致します。
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000252970