「万歳館」および「公会堂」に関する記載がいくつか見つかりました。しかし「公会堂」に関する詳細がわからず、両者が同一のものか確定するには至りませんでした。記載のあった資料とその内容を次に紹介いたします。
①『上野市史 芭蕉編』上野市/編集 上野市 2003
昭和22年第1回芭蕉祭についての文章
p565「万歳館と俳聖殿にて句会」
②『伊賀市史 第3巻 (通史編 近現代)』伊賀市/編集 伊賀市2014
・「城郭跡地の変遷」の部分
p160昭和3年以降「公園内には愛閑亭や万歳館といった施設を建設」
・「芭蕉翁顕彰と俳聖殿の建設」の部分
p644昭和8年の二百四十年忌「朝日俳句大会が白鳳公園万歳館で開催され二百数十名が参加」
p648昭和18年の二百五十年忌全国俳句大会「上野公園の公会堂で約400名が参加」
③『いがうへの案内』上野町(三重県)上野町役場 [192-]
地図の裏面の観光案内の文章に「泉池に臨み林間に聳ゆるもの萬歳館である。(中略)貴賓を迎ふべし。(中略)右に公會堂を、東に石磴を登れば(後略)」
この部分で萬歳館と公會堂の両方が出てきますが、他に情報がなく、この文章のみでは違う建物を指しているとは断定しきれません。
④『蕉翁礼讃と誕生地考』松尾 早次/著 柘植史談会,角川書店(発売)1953
p121昭和17年俳聖殿落慶式について「又、白鳳公園内の(中略)万歳館では、郷人、橋本鶏二氏(ほととぎす会)の主宰で、知名の宗匠や、多数の俳人が集つて、俳話もあり、句莚も、盛大に數かれた」
⑤『いがうへの』大津 熊男/編 伊賀実業新聞社 1930
・冒頭の口絵写真に「城址内萬歳館」
・本文中、白鳳公園の説明の中で萬歳館が紹介されている部分
p50「池を覗いて丘に建つてゐるのは、萬歳館である。昭和大典を記念して(以下、金閣寺に似せて作られたことなど)」
⑥『図説伊賀の歴史 下巻』伊賀の歴史刊行会/編 郷土出版社1992
「伊賀文化産業城の落成」田中善助による公園整備についての部分
p96「公園入口の正面に池を掘り上部から滝を落とし、池畔に「愛閑亭」を建て、さらに御大典記念として「萬歳館」を建設」、写真(p97キャプションに「手前は現存する愛閑亭、その上に立てられたのが萬歳館」とある)
⑦『目で見る伊賀の100年』奥瀬平七郎/監修 郷土出版社 1990
p99「上野公園の入口付近」昭和9年頃、愛閑亭と万歳館の写真。周りは林で他の建物は写っていません。
⑧大阪朝日新聞三重版マイクロフィルム 昭和8年5月14日
・二百四十年忌の俳句大会の記事「今十四日上野町萬歳館で開催の(後略)」やや不鮮明
⑨伊勢新聞マイクロフィルム 平成2(1990)年12月24日11面
「上野市の旧シンボル万歳館全焼」
この記事の中で建物について次のような説明があります。
「昭和4年、田中善助氏が建築し、市に贈った。一、二階に大広間があり屋根は正方形で頂上部に鳳凰があしらわれた建物で、市のシンボルであった。戦後は各種の会合の集会所として使用されていたが、昭和37年に隣接地に市営結婚式場としての市民会館が建設されてからは同市市民課が管理、披露宴会場として利用されていた」
⑩『郷土資料事典観光と旅25(三重県)』人文社観光と旅編集部/編集 人文社1968
p79「上野公園案内図」の中に「万才館」「市民会館」が隣接して描かれています。簡潔なイラストですが、万才館は和風の建物、市民会館は直方体を重ねたような形に描かれています。
これらの資料から次のようなことがわかります。
・万歳館は池を挟んで茶席「愛閑亭」の前に建てられた(⑤⑥他)。
・200名以上の会合が可能(②)。1、2階に大広間がある(⑨)。
・東(建物に向かって右)に階段がある(③⑩)。階段の右に公会堂?(③)
・昭和37年に万歳館に隣接して市民会館が建てられた(⑨)。
階段の付近に市民会館以前に別の建物(公会堂)があったのかどうかを確認したかったのですが、公会堂についての情報を他に見つけることができませんでした。
その他調査済資料(該当する情報なし):伊賀秘蔵写真帖、伊賀上野、伊賀まるごとガイドブック伊賀人、伊賀・名張のたから、芭蕉と伊賀、上野町地図、ゼンリン住宅地図、伊勢年鑑 その他