・「エラン・ヴィタール小劇場」は劇団の名前であり、(建物としての)劇場ではない。
『京都大事典』(淡交社 1984)に記載あり。大正7年に創始され、当時京都でほとんど唯一の新劇団だった(p105)。
・エラン・ヴィタール小劇場が大正8年11月に倉田百三「出家とその弟子」を岡崎公会堂で公演している。
『京都府百年の年表 9 芸能編』(京都府 1970)(p150)
大8(1919)年 11・20・21 エラン・ヴィタール小劇場と東京踏路社創作劇場との合同試演会が、鹿ケ谷一燈園の西田天香の主催で岡崎公会堂に倉田百三作「出家とその弟子」を公演。 典拠「京都日出新聞」10・14
『近代歌舞伎年表 京都篇第7巻 大正七年~大正十一年』(八木書店 2001)(p255-256)
十一月 『出家とその弟子』合同公演 について記載あり。場所は岡崎公会堂。典拠「京都日出新聞」11・6、22劇評、「大阪朝日新聞(京都附録)」11・8が挙げられている。
・岡崎公会堂(京都市公会堂)は、現在の京都会館あるいは京都市美術館別館付近にあった。
『京都大事典』(淡交社 1984)(p135)
「岡崎公会堂」 …本館は三〇〇〇名の収容能力をもつ大建築物であったが、昭和九年の室戸台風で倒壊。現在の建物は、同四年五月焼失し翌五年八月に再建された東館で、京都会館の別館に使用。
『地図で読む京都・岡崎年代史』(京都 京都岡崎魅力づくり推進協議会 2012)所収「京都・岡崎年表」によると当時の「京都市公会堂」は現在の京都会館である。」(p28~29)
「京都エラン・ヴィタール小劇場の歩んだ道」大岡 欽治
『日本演劇学会紀要』(通号 18) 1979 p.p70~82(京都府立総合資料館所蔵)
『日本新劇史 新劇貧乏物語』(筑摩書房 1975)
「京都エラン・ヴィタール小劇場」(p612-655あり)
(p623)10 『出家とその弟子』十一月、京都市公会堂本館。…とあり。Ľ624-625にその公演について詳しく書かれている。
『関西新劇史』(大阪 東方出版 1991)
「第Ⅲ部 京都のプロリタリア演劇」>「第1章 エラン・ヴィタール小劇場」(p593-604)あり。
(p29)に京都市公会堂での「出家とその弟子」公演の記録あり。
『京都府百年の資料 9 芸能』(京都府 1970)
「昭和時代の新劇」の項に「エラン・ヴィタール小劇場」あり(p313-322) 多くは日出新聞の劇評。
『明治大正新劇史資料』(演劇出版社 1964)「京都生命座(エラン・ビタール)」あり。7行。(p201)