レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年04月30日
- 登録日時
- 2018/02/28 15:21
- 更新日時
- 2018/03/27 14:47
- 管理番号
- 新県図-01350
- 質問
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解決
新発田藩分家の溝口修理について
- 回答
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当館所蔵資料を調査したところ、以下の(1)~(5)の資料に溝口修理について記述がありました。
(1)『寛政重修諸家譜』第3(続群書類従完成会/編 続群書類従完成会 1964)
p130~132[寛政重修諸家譜巻第百四十一 清和源氏 義光流 溝口]に溝口家分家の系図があり、1代目宣秋の項目(p.130)に「寛永五年父が遺領越後国蒲原郡のうちにおいて、六千石をわかちたまり、寄合に列し、桐梅に居所をいとなむ」とあります。系図上で「修理」を名乗った人物は3人おり、その中で時代が寛文8年に最も近いのは2代目の宣就(p.130に項目あり)です。ただし宣就の項目に「延宝元年七月十一日遺跡を継、」(延宝元年=1673年)とあるため、寛文8(1668)年当時、まだ井栗村の領土は父の宣秋が治めていたと考えられます。
(2)『三条市史』上巻(三条市史編集委員会/著 三条市 1983)
p396[溝口三分家と井栗村]に溝口宣秋と溝口宣就について記述があります。
(3)『新発田市史』上巻(新発田市史編纂委員会/編 新発田市 1980)
p389、391に溝口宣秋と溝口宣就について記述があります。またp390に「溝口氏諸分家略系図」があります。
(4)『新潟県史』通史編第3 近世第1(新潟県/編 新潟県 1987)
p191[切梅知行所]に溝口宣秋と溝口宣就について記述があります。
(5)「溝口三分家の成立とその知行所」(関正平/著 『三条市史研究』第5号 三条市 1980 p5~24)
p6~7[溝口三分家系譜]に溝口宣秋と溝口宣就について記述があります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 北陸地方 (214 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 溝口家
- 新発田藩
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000231560