郷土資料を中心に当館所蔵資料を調査したところ、以下の(1)~(5)の資料に上記1~4の人物について記述がありました。ただし、上記4の人物については、名前が出ていたのみです。なお、一般資料の(6)にも上記1~4の人物について記述がありましたので、併せて紹介します。
(1)『新潟県史』通史編5 近世3(新潟県/編 新潟県 1988)
p582[「本居宣長・平田篤胤の門人」の項]に、上記1~4の人物の名前が出ています。また「倉石高積は高田の富商笹屋宗左衛門であり、江見大和守は村上羽黒神社の神官啓斎で、弱冠のころ京都吉田神社の待読松岡渾成にも学んだ人である。安倍吉知も江見啓斎と同様松岡にも学んだと思われる。」と記述があります。
(2)『刈羽郡案内』(関甲子次郎/著 柏崎市立図書館 1976)
p120[「八幡社」(鵜川神社)の項]に「宝政の頃槻臨堂吉知といふ歌人ありたり、本居宣長翁の門人なり」と記述があります。
(3)『琵琶島鵜川神社』(柏崎市立図書館 柏崎郷土資料刊行会 1975)
p10[「鵜川神社神官布施家系図」内]に「四十六代 布施但馬守従五位下善吉知」の項があり、「幼名亀千代。寛政十二年四月七日参内御綸旨頂戴す。本居宣長と親交あり。国学者」と記述があります。また同ページには「本居宣長書状」、「本居宣長長歌(本居宣長全集に所収)」の写真があります。ただし大きさは5センチ×8センチ程度です。
(4)「国学者についての史料紹介」(飯田素州/著 『越後赤塚』第3号 赤塚郷土研究会 1984 p37~73)
p72に「布施吉知は、安倍宿弥と称し、寛政十二年(一八○○)四月本居宣長の門人となっている。鈴屋門人録にその名が見える。」と記述があります。
(5)『江見啓斎翁日誌』上・下巻(鈴木鉀三/編 村上古文書刊行会 1988)
江見啓斎の日誌(一部啓斎の息子次郎太郎の分も含まれます)が各年でまとめられています。
(6)『本居宣長事典』(本居宣長記念館/編 東京堂出版 2001)
上記1~4の人物について、それぞれ項目があります。
また当館ホームページ内の「新潟県立図書館 郷土人物/雑誌記事索引データベース」(
http://opac.pref-lib.niigata.niigata.jp/Kyodo/)で「江見啓斎」をキーワードに検索すると、市町村史や人物事典などに収録された江見啓斎関連項目が(1)の資料を含む9件が出てきます。