レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20200902
- 登録日時
- 2021/01/15 00:30
- 更新日時
- 2021/03/22 14:04
- 管理番号
- 0401002236
- 質問
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解決
西南戦争・官軍側の兵士が書いた「戦闘日誌(従軍日誌)」に、“頼山陽先生が五家荘について書いている”というような文章があった。元が詩なのか、紀行文なのかわからないが、なにか五家荘について書いた文章が残っていないか。
- 回答
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『頼山陽全書 詩集』P245(巻十二)の七言絶句「綱樹(津奈木)嶺を踰ゆ」に「五家村」の記述がある。
『山陽詩鈔註釈 全』P692(巻四注訳)の解説に、「阿蘇山下の五家村と云ふ、極めて僻地にして昔平家の餘類の匿れて村を成せると云ひ傳ふる處なるべきやとの意なり」と記述がある。
「踰綱樹嶺」
阿蘇山脈盡南奔 右折羊腸扼海門 囘望雲嵐如疊波 那邊應是五家村
-(阿蘇山脈盡(ことごと)く南奔す 右折して羊腸海門を扼(やく)す
回望すれば雲嵐疊浪(じょうろう)の如し
那の邊(へん)か應(まさ)に是れ五家村(ごかそん)なるべし-
頼山陽の来熊は文政元(1818)年。8月24日に長崎島原から天草へ渡り、菊池や加藤公廟など見て回り、9月7日、薩摩に入る歌を書いている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 頼山陽全書 詩集,頼 山陽/[著],頼山陽先生遺蹟顕彰会,1932 (P245「踰綱樹(津奈木)嶺」 P238~P247に熊本関係。文政元(1818)年8月24日~9月7日。|0112675525|/081.6/ラ/4)
- 山陽詩鈔註釈 全,奥山 正幹/著,山陽詩鈔出版会,1914.10 (P692「踰綱樹嶺」 解説に五家村が、平家の隠里であることが書かれている。 PP665~P698に熊本関係。|0116616368|/シユ005359/シュ/005359)
- 新日本古典文学大系 66,佐竹 昭広/[ほか]編集委員,岩波書店,1996.7 (P1921~199に熊本関係。津奈木嶺の歌は掲載なし。|0116437153|/918/シ/66)
- キーワード
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- 頼山陽
- らいさんよう
- 五家荘
- 五家村
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000292435