レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2014/08/02 15:13
- 更新日時
- 2015/03/29 15:44
- 管理番号
- 愛知県図-03276
- 質問
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昭和19年10月に台湾の高雄から出航し、米軍潜水艦に沈められた「津山丸」に乗船した部隊を知りたい。
- 回答
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戦車第二師団の輜重部隊、同師団隷下の機動歩兵第二連隊・戦車第十連隊、第百師団ほか。さらに船舶砲兵、船員が乗船していた。これらの部隊を乗せた「津山丸」は昭和19年10月2日、バシー海峡で米潜水艦の雷撃により撃沈された。投げ出された多くの人が犠牲になった。
- 回答プロセス
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資料1の津山丸の項には「機動歩兵第十八連隊」とある。しかし「帝国陸軍編制総覧」(資料4)、「日本陸軍兵科連隊」(資料6)を見ると機動歩兵連隊は一・二・三連隊しかなく十八連隊の記載はない。ではこの連隊は何を指しているのか。
「機動」のつかない歩兵十八連隊は昭和19年7月グアム島で全滅している(資料4.5)ので、該当しない。資料5に記載のある機動歩兵一・二・三連隊を個々に調べていくと、機動歩兵第二連隊と考えられ、その部隊史を精査することにより、津山丸に乗船しているのが確認できた。
同連隊を隷下とする戦車第二師団の部隊史を見ると隷下の戦車第十連隊や戦車第二師団の整備部隊が乗船している。また厚生省の戦死公報がWeb上で公開されていて(資料12)、津山丸乗船中バシー海峡で海没した「戦車第二師団輜重部隊」「第百師団野戦病院」の所属兵士がみえる。
「損害を軽減するために分散して乗船区分けがされる」(資料10)ので、一つの船に連隊規模部隊が全部乗船することはないと考えられる。
部隊史では著者の所属部隊については詳しいが、同じ乗船割当になった他の部隊についてまで書かれていることは少ないため、どんな部隊が乗船していたか一覧できる資料は少なく、今回の津山丸については見つけられなかった。
資料1 はのちに資料2.3に引用されているが「機動歩兵第十八連隊」の記述はそのままである。
- 事前調査事項
- NDC
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- 陸軍 (396)
- 参考資料
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【資料1】日本郵船戦時船史 : 太平洋戦争下の社船挽歌 上巻. 日本郵船, 1971. p.942 「第十八連隊」が乗船したという記述はこれが始まりと思われる
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I000732458-00 (1101018908) -
【資料2】駒宮真七郎 著 , 駒宮, 真七郎, 1917-. 戦時輸送船団史. 出版協同社, 1987. p.164 津山丸と所属船団の解説がある
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001884001-00 , ISBN 4879700479 (1102962202) -
【資料3】駒宮真七郎 著 , 駒宮, 真七郎, 1917-. 戦時船舶史. 駒宮真七郎, 1991. p.164 津山丸の解説がある
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002184616-00 (当館所蔵せず) -
【資料4】外山操, 森松俊夫 編著 , 外山, 操, 1919-1998 , 森松, 俊夫, 1920-2011. 帝国陸軍編制総覧. 芙蓉書房出版, 1987.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001903645-00 (1105971813) -
【資料5】新人物往来社戦史室 編 , 新人物往来社. 日本陸軍歩兵連隊. 新人物往来社, 1991. p.201に機動歩兵第二連隊の記載あり
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002129313-00 , ISBN 4404018452 (1105764175) -
【資料6】新人物往来社戦史室 編 , 新人物往来社. 日本陸軍兵科連隊. 新人物往来社, 1994. p.153戦車第十連隊が「千早丸」乗船中、10月2日に海没とあるのは「津山丸」の誤記か?
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002372921-00 , ISBN 4404021445 (1106632537) -
【資料7】『戦車第二師団 機動歩兵第二連隊比島比島捷号作戦参加の経過と結果』 柳本貴教 1985年8月26日
p.36-39の編成表に津山丸乗船中に海没した指揮官の名がみえる。連隊本部と第一機関銃中隊、第九中隊が津山丸乗船と思われる (当館所蔵せず) - 【資料8】『機動歩兵第二連隊比島捷号作戦参加 補記』 蜂巣貞夫 1991年6月 p.41 (当館所蔵せず)
- 【資料9】『わだち-騎兵第七十二連隊、機動歩兵第二連隊-』 2001年6月 p.24 「魔のバシー海峡で44時間」 (当館所蔵せず)
- 【資料10】『戦車第二師団の記録』 河合重雄 1994年8月 p.27 (当館所蔵せず)
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【資料11】『戦車第十連隊史』 黒江武平編 1988年10月 p.17,p.21(永治丸)p,187「津山丸海没記」藤原友三郎、p.190「海没漂流を思う」斎藤義晴、p.193「漂流記」榊原辰彦
p.183に「各輸送船は兵員や戦車…が平均するように乗船区分が決められていた」とある (当館所蔵せず) -
【資料12】「旧陸軍死亡者関係資料」厚生労働省援護局 戦時の死亡証明票がスキャンされている。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/engo/shiryou/dl/shiryou_001.pdf 78,82,83コマ目(2015.2.26確認)
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【資料1】日本郵船戦時船史 : 太平洋戦争下の社船挽歌 上巻. 日本郵船, 1971. p.942 「第十八連隊」が乗船したという記述はこれが始まりと思われる
- キーワード
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- 戦時輸送団
- 津山丸
- 戦車第二師団
- 機動歩兵第二連隊
- 戦車第十連隊
- 第百師団
- バシー海峡
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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ほかに調査中にわかったこと。
資料6のなかで戦車第十連隊第二中隊が乗船したのは「千早丸」とあるが、資料10,11等複数の部隊史によれば、「津山丸」が正しいと思われる。
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000157372