レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年08月09日
- 登録日時
- 2020/03/25 09:48
- 更新日時
- 2020/03/26 15:47
- 管理番号
- 地-190008
- 質問
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解決
横浜市中区蓬莱町2丁目(現在の3-11付近)が、米軍接収時に、どのように使われていたのか知りたい。戦後そのあたりは10年ほど米軍に接収されていたらしい。昭和22年の空中写真を見ると、連続するような建設物が立っているが、どのような用途として使われていたのかなどを知りたい。
- 回答
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下記の資料を紹介した。
・『横浜市史 2部 資料編7』横浜市総務局市史編集室 2000
p.425~510「13 横浜市の接収と復興」のp.439~442に、昭和27年7月26日付で「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第3条に基く行政協定第2条により在日合衆国軍に提供する施設及び区域(一般施設)」の表が掲載されている。p.440「横浜市(一時使用)」の表中に「FAC番号 3628」「在日合衆国軍施設名 第155病院」「所在地名 中区末広町、羽衣町、蓬莱町」「所有関係 民有」「備考 旧J.P.N.R 3906」という記載がある。
・『中区わが街 中区地区沿革外史』横浜市中区役所 1986
「中区記憶絵図集抄」のp.17に「15.(昭和22年航空写真より作成) 関外接収地(部分)概要図 昭和22年頃」として、大通公園を中心に大岡川から中村川にかけての地図が記載されている。蓬莱町という町名の記載は無く、接収地を太枠で囲んであるが、建物の用途に関する表記は見つからなかった。
・『横浜市明細地図 中区明細地図 昭和31年度版 全戸調査』経済地図社編 1956
p.34~35に、蓬莱町一丁目から蓬莱町三丁目までの明細地図が記載されている。蓬莱町一丁目と二丁目は建物の名称、所有者等の情報は無く、地番のみが記載されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 横浜市
- 地図
- 接収
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000276650