レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年07月22日
- 登録日時
- 2018/02/28 11:47
- 更新日時
- 2018/02/28 17:58
- 管理番号
- 地-1700006
- 質問
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未解決
西洋人墓地では関東大震災で死亡した西洋人が割と多く葬られたというのは、本当か。
- 回答
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横浜には外人墓地が山手外人墓地(主に欧米人)、根岸外国人墓地(欧米人のほか中国人も埋葬)、中華義荘(中国人の墓所)、英連邦戦没者墓地(第2次世界大戦で死んだ英連邦兵士のための墓所)と4つあります。西洋人墓地というのは、山手外人墓地のことを指していると思われることから、山手外人墓地について調査しましたが、山手外人墓地では、関東大震災で死亡した西洋人が多く葬られたという記録は、見つかりませんでした。
- 回答プロセス
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①『横浜震災誌 第三冊』 横浜市役所市史編纂係編 横浜市役所市史編纂係 1926年 <K45.1/2/3 常置> (50627702)
「第十一章 横濱在留外国人の被害」に、関東大震災における外国人の被害について記載があり、死亡1789人(うち1541人は支那人)、負傷2353人(うち2039人が支那人)、所在不明5251人(うち4276人が支那人)(p605-p607)ということがわかりました。
②『市民グラフ ヨコハマ №27 特集・山手百科』 横浜市市民局市民活動部 1978年 <K05.1/63/27常置> (50496819)
山手外人墓地の埋葬者総数は、「関東大震災直前まで約2500人、それ以降あらたに約1700人が加わって、ひと口に40ヶ国4200人といわれている」ようです。
「山手外人墓地埋葬者リスト」(p49-58)があり、約4200人の埋葬者のうち、氏名と埋葬地区が確認されている3378人の中から①病死したり事故死したりした乳幼児147人、②1870年に東京湾で衝突し沈没した米オネイダ号の115人、③1918年以前にアジア駐屯地で死亡した米海兵隊員110人、④1939年から1945年までに死亡したドイツ軍人71人を除いた2935人の埋葬者について、氏名、国籍、没年が掲載されています。このリストで関東大震災があった1923年が没年となっている人を数えたところ、103人でした。
③『市民グラフ ヨコハマ №33 山手外墓地 社会・文化「人名事典」』 横浜市市民局市民活動部広報課広報センター 1980年 <K05.1/63/33常置> (50643824)
「第1章 改訂『埋葬者リスト』」(p2-p37)があり、約4200人の埋葬者のうち、①他の墓地へ改葬された人、②乳幼児、③埋葬者名と埋葬地区の両方が未確認の人、④1870年東京湾で衝突、沈没した米オネイダ号の乗組員、⑤1918年以前にアジア駐屯地で死去した米海兵隊員、⑥1939年から1945年までに死去したドイツ軍人を除いた2971人分について、氏名、国籍、没年が掲載されています。このリストで、1923年が没年になっている人を数えたところ、103人でした。
なお、「第3章 外人墓地略誌」(p71-p76)がありますが、関東大震災時の埋葬についての記述はありませんでした。
④『横浜震災誌 第四冊』 横浜市役所市史編纂係編 横浜市役所市史編纂係 1927年 <K45.1/2/4 常置> (50627710)
「第六節 保護」「四 死體取片付」に、以下のような記述があります。
「更に山下町を中心とする在留外国人の死體千七百八十九人、負傷者二千三百五十三人、行衞不明者千百〇九人の多數を出したのであるから、その惨状推して知るべく、米國領事竝に同副領事は、枕を竝べて惨死を遂げ、清國領事・和蘭領事、英國副領事、フェリス女学校長カイパー氏、その他知名の士は悉く惨死を遂げたのである。これ又當局は内外人を問わず悉く火葬に附した。」
また、在留支那人の遺骸については、阪神在留の同国人が組織した団体が後日発掘し、火葬に附した上で、相澤共葬墓地に仮埋葬した旨の記述があります(p261-262)が、西洋人については埋葬場所等の記述はありませんでした。なお、相澤共葬墓地とは、根岸外国人墓地のことのようです。
⑤『古き横浜の壊滅』 O.M.プール著 有隣堂 1976年 <K45.1/29/a 常置> (65102709)
関東大震災当時、山手に住んでいたアメリカ人が、被災直後に書いた体験記ですが、被災後の山手での様子について「水兵たちは死体を掘り出しては一時的に埋葬した。いくつかの死体はイギリス領事館の構内に、その他の死体は彼らの発見された場所に近い王立イギリス海軍病院に、またそれ以外の死体は横浜クリケット・アンド・アスレティック・クラブの敷地の近くの丘につくった新外人墓地まで運び出して埋めた。」(p182)という記載がありました。新外人墓地というのは、根岸外国人墓地のことのようです。
⑥Web版「有鄰」№501「座談会 横浜の外国人墓地-山手・根岸・中華義荘・英連邦戦没者-(2)」
「関東大震災で亡くなった多くの方が根岸に埋葬された。 墓地の中に横浜市が建てた「外国人震災慰霊碑」があります。」という記述があります。
http://www.yurindo.co.jp/static/yurin/back/yurin_501/yurin3.html
⑦『郷土神奈川 16-20号』 神奈川県立文化資料館編 神奈川県立文化資料館 1985年
<K097/3/16-20 常置> (50339019)
第19号の論文「もう一つの横浜外人墓地 -市営根岸外国人墓地に関する考察-」(田村泰治著)には、「なお、大正十二年(一九二三)の大震災による埋葬者は、十四基で、A地点(第三区)に十二基十七名、B地点(一区)に二基二名が現存する。」(p45)という記載があります。
以上のように、山手外人墓地における関東大震災時の埋葬について記述をしている資料がなかったこと、関東大震災時の行方不明者が多いこと、当時は日本人、外国人の区別なく、一緒に火葬してしまっていること、埋葬されても墓碑を立てていない可能性があること等から、西洋人が山手外人墓地に「割と多く葬られた」かどうかの判断ができませんでした。④~⑥の資料を見るかぎりでは、山手外人墓地よりも根岸外国人墓地のほうに埋葬された西洋人のほうが多かったようにも見受けられますが、根岸外国人墓地に当時どのくらいの人が埋葬されたかの記録がないので、はっきりとはわかりません。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
-
- 外人墓地
- 横浜
- 関東大震災
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000231534