レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20180510
- 登録日時
- 2019/03/26 00:30
- 更新日時
- 2020/03/24 18:16
- 管理番号
- 中央-2018-32
- 質問
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解決
神保町のすずらん通りの写真が掲載されている昭和期の資料はあるか。
- 回答
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都立中央図書館で所蔵している東京の写真集や、神保町にある書店の社史を中心に調査した結果、以下の資料にすずらん通りの写真が掲載されていた。
資料1のp.105に「145「すずらん通り」昭和43年3月24日 西方をのぞむ。右に三省堂書店、通りの奥左に東京堂書店が見える」があり。
資料2のp.53に「すずらん通りを巡行する神幸祭の祭列(昭和27年)」があり。「戦後の神田祭」の章に写真が掲載されている。
資料3のp.149に「【神保町通り】I20-08 道が狭いので現靖国通りではない。靖国通りの南側にあるすずらん通り(白山通りより東側)・さくら通り(西側)と呼ばれる道である。街路灯がすずらんのデザインだ。写真のすずらん通りは、-中略- 昭和6~7年頃か。」とあり。なお、掲載されているのは写真絵葉書。
資料4に「昭和12年/すずらん通り入口から見た三省堂書店」があり。頁付けはされていない。
資料5のp.72に「夜のすずらん通り<資料28>」があり。
撮影年は記載されていない。
資料6のp.39「通り神保町 ここも亦、不断に雑踏する学生のオンパレードの街である。三省堂、東京堂、富山房等大書店と、美術、音楽等の学生向趣味的店舗の羅列、更にその裏側には、安直を旨とするカフェ、喫茶店の密集、何處も彼處も学生の匂ひで一杯の一廓。」とあり。写真の年代は不明。
資料7には次の3点の掲載あり。
p.65「神保町側入口。」※「神田すずらん通り」の看板が写っている。
p.65「すずらん通り、駿河台側入口。」
p.66「新装になったすずらん通りの書肆冨山房。」
p.129に、この資料について「多面性をもつ神田の、’82のある一面」との記載があることから、いずれも昭和57年頃の写真と思われる。
資料8のp.11に「昭和初年のすずらん通り」あり。「神田神保町と東京堂書店の昨今 懐かしい神田のたたずまい」の章に写真が掲載されている。
資料9のp.168-169に「186/187 昭和7年頃の鈴蘭通り。電車が通るまではここが表通りで、馬車道だった。この頃は通りに古本屋の夜店が出たりした。旗が立つのは冨山房。187は同じ頃の表通りの古本屋街。」とあり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】昭和の東京 3 加藤嶺夫写真全集 千代田区 / 加藤 嶺夫著 / 川本 三郎,泉 麻人監修 / デコ , 2013.8 <T/210.7/5114/3>
- 【資料2】あの日の神田・神保町 写真と地図でたどる(地図物語)/ 佐藤 洋一,ぶよう堂編集部著 / ぶよう堂 , 2008.11 <T/34・210/5021/2008>
- 【資料3】明治・大正・昭和東京写真大集成 / 石黒 敬章編・解説 / 新潮社 , 2001.8<DT/0・260/5024>
- 【資料4】本と文化の窓三世代三省堂書店 写真でつづる本屋と文化 / 株式会社三省堂書店百二十周年記念写真展実行委員会編集 / 三省堂書店 , 2001.3 <024.0/5009/2001>
- 【資料5】目で見る千代田の歴史 / 千代田区立四番町歴史民俗資料館編集 / 千代田区教育委員会 , 1993.2 <T/34・20/3007>
- 【資料6】大東京写真案内 博文館編纂部編纂 / 博文館新社 , 1990.9[博文館1933年刊の復刻] <T/0・200/3080>
- 【資料7】神田 写真集 / タウン誌“神田っ子"12人の仲間編 / 久保工務店 , 1982 <DT/34・74/2>
- 【資料8】ものがたり・東京堂史 明治、大正・昭和にわたる出版流通の歩み / 田中 治男著 / 東販商事 / 1975 <0239/3144/75>
- 【資料9】東京・昔と今 思い出の写真集 / 松島栄一, 影山光洋, 喜田川周之編 / ベストセラ-ズ , 1971.4 <0920/T7272/T>
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000253712