レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20161103
- 登録日時
- 2017/03/16 00:30
- 更新日時
- 2020/04/13 10:16
- 管理番号
- 中央-2016-26
- 質問
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解決
江戸城の中奥と大奥をつなぐ廊下に「上御鈴廊下(かみおすずろうか)」というのがあるが、「下御鈴廊下(しもおすずろうか)」もあったのか。あるならば、どのように使い分けられていたのか。
- 回答
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歴史辞典と江戸幕府に関する事典で「御鈴廊下」の項目を調査した。
資料1のp.838によると、御鈴廊下は、はじめは上御鈴廊下の位置に1つだけであったが、明暦の大火(1657年)以後、災害時の避難を考慮して下御鈴廊下が増設されたとある。
なお、資料2のp.482によると、9代将軍徳川家重(在任:1745~1760年)の代のはじめまで上御鈴廊下だけだった可能性があるとされている。
廊下の使い分けについては、資料2のp.482及びその参考文献に挙げられた資料3のp.224,230に記載されている。
これらによると、上御鈴廊下は、将軍が大奥に入る時や、中奥へ戻る際に使用されていた。
下御鈴廊下は、将軍の生母の住居である大奥の御新座敷(ごしんざしき)に行く際に使用した。また、将軍が大奥で料理を食す場合に、将軍付きの膳所(ぜんどころ)である奥御膳所(料理を受け取り、食事の膳に仕立てる場所。資料3のp.229による。)に料理を運ぶ際にも使用したとある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】国史大辞典 第2巻 う~お / 国史大辞典編集委員会/編 / 吉川弘文館 1980 <R/2103/32/2>
- 【資料2】江戸幕府大事典 / 大石 学/編 / 吉川弘文館 2009 <R/210.50/5426/2009>
- 【資料3】図解・江戸城をよむ 大奥 中奥 表向 / 深井 雅海/著 / 原書房 1997 <2150/3229/97>
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000211835