レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20150304
- 登録日時
- 2017/03/16 00:30
- 更新日時
- 2020/04/13 10:20
- 管理番号
- 中央-2016-25
- 質問
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解決
江戸城の大奥にあった稲荷社の名前を知りたい。
- 回答
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江戸城大奥について典拠となる資料は、資料1から4がある。
資料1、2は、「かつて大奥に勤仕した上臈・中臈ほか各職掌にわたる数十人にのぼる人々から、大奥の制度・生活などきわめて広範囲にわたる事柄を聞き集めた。」もので、朝野新聞に「千代田城大奥」と題して連載され、その後、1892年に上下2巻本として刊行されたものである。
資料3は、資料1と2のふりがなを現代かなづかいに改め、本文には、適宜句読点をいれて、読みやすくしたものである。
資料4は、天璋院殿の中臈を勤めた人の聞き書きを中心に鳶魚の見解などをまとめたものである。
資料3によると、「大奥の内幕」の「初午祭(p.232-237)」のp.232に、「初午の日に大奥にて例年祭典を執り行ふは御対面所の南に当り、上御鈴廊下の方に寄りし所に鎮座まします稲荷なり。神霊は其の昔二代将軍の御代親しく日光より移させ給ふものにて、吾妻稲荷と称し奉り霊験あらたかにして願ふて叶はずといふことなしとかや」と記載がある。また、p.234に「稲荷神社の傍大奥と奥との界を限る塀に門あり。」とある。
なお、資料3のp.232、234は、資料2では、p.10、12にあたる。
資料4のp.115に「(前略)その年の12月に滝山が火を付けられたのです。その時部屋の者を起こしたのが、千代田稲荷だと言い出したのです。この稲荷はもと吹上にあったので、いついつまでも御本丸を守護するのだと言いました。」とある。
以上により、吹上に千代田稲荷があり、大奥には吾妻稲荷があったようだ。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】千代田城大奥 上 / 永島今四郎 /著 / 朝野新聞社 , 1892 </2150/N199/T1-1>
- 【資料2】千代田城大奥 下 / 永島今四郎 /著 / 朝野新聞社 , 1892 </2150/N199/T1-2>
- 【資料3】江戸城大奥 定本 / 永島今四郎 /編, 太田贇雄 /編 / 人物往来社 , 1968 </2150/N199/E>
- 【資料4】三田村鳶魚全集 第3巻 / 三田村鳶魚 /著 / 中央公論社 , 1976 <T/0・380/13/3>
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000211826