(1)学校の歴史
資料1:学校の沿革のほか、昭和9年ごろの校舎の写真(p.467)あり。
資料2:「華園学校」として、校舎新築願の文書が掲載されている。
雑誌記事では、『東京人』に以下の記事あり(資料11)。
『東京人』93号(1995年6月) p.87-91:○「四谷第五小の120年。新宿・盛り場の小学校が消えた」野村敏雄文、荻沼秀和写真
1995年3月の閉校にともなって書かれた記事。開校からの歴史をふりかえり、当時の生徒、地域の様子、時代の移り変わりなどが記されている。
(2)校舎建築について
資料3:6「建築モダニズムの光芒」 6-2「復興小学校の記憶」
「旧四谷第五小学校」の項目あり。「昭和9年の改築。東洋一のモダン校舎と呼ばれた。」等の短い説明文と写真あり。
資料4:1「教育厚生」-「四谷第五小学校」
「鉄筋コンクリート造の箱型校舎は、衛生がテーマの最新デザイン 四谷第五小学校(1934) 設計:東京市土木局建築課」
複数の参考文献、写真をあげながら、校舎の設計やデザイン、復興小学校の建設を指揮した佐野利器について考察されている。
資料5:1「都市の位相」-「復興小学校」
文中に、写真および建築学的感想あり。インターナショナル・スタイル、設計は東京市営繕課とあり。資料6、資料8に関する記述あり。資料6については、震災復興小学校が138校収録されているが、四谷第五尋常小学校は第一期の震災復興小学校群のため入っていない、とあり。
資料7:日本におけるDOCOMOMO100選の内容を掲載したもの。選定された四谷第五小学校の記事あり。きわめて前衛的な建築表現をもっていたことから、「東洋一のモダン校舎」と呼ばれた、等の解説文と校舎外観、室内部の写真が掲載されている。
DOCOMOMO Japan(DOCOMOMO日本支部)のホームページによると、DOCOMOMO(ドコモモ)とは、正式名称をDocumentation and Conservation of buildings,sites and neighbourhoods of the Modern Movement)といい、モダン・ムーブメントにかかわる建物と環境形成の記録調査および保存のための国際組織。2003年9月、DOCOMOMO Japanが日本を代表する現存する近代建築100件を、DOCOMOMO100選として選定した。DOCOMOMO100選に選ばれた建物のリストは、ホームページにも掲載されている(現在、掲載なし。最終確認日:2020年5月20日)。
http://www.docomomojapan.com/ トップ>japan100(最終検査日:2007.12.25)
(3) 校舎写真、図面
資料8:図譜番番号115A.,B,C「東京市四谷第五尋常小学校」(東京市・竹田組・昭9) 校舎全景写真及び、平面図あり。
資料9: 第8巻第12号(1932年12月) p.15 「東京市四谷第五小学校 東京市建築課設計」あり。校舎上からの図。
資料10:第10巻第4号(1934年4月) p.196-201 「東京市四谷第五小学校」東京市土木局建築課技師・古茂田甲午郎著 「設計の趣旨」、「工事概要」の文章による説明と、全景や校門、階段室の写真、1階、2階の平面図が掲載されている。
資料9,10については、土木学会付属土木図書館HP内で、PDFにより閲覧可能。
Http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/index.html(最終検索日:2007.9.28)
トップ>デジタルアーカイブス>戦前図書・雑誌コレクション>土木建築工事画報
インターネット情報では、[Google]を<四谷第五小学校>で検索した中から、下記のホームページを見ると、四谷第五小学校は、関東大震災の復興事業として造られた復興教育施設(復興小学校)の一つで、現在は統廃合されて花園小学校になり、建物は新宿区役所第二分庁舎になっていることがわかる。
○分離派建築博物館
トップ>復興教育施設と小公園>教育施設 7 四谷第五小学校(現新宿区役所第二分庁舎)
Http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/index.html()
○フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』-「四谷」
http://www.sainet.or.jp/~junkk/hukkou/yotuya5.htmr>(最終検索日:2007.9.28)