レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年10月01日
- 登録日時
- 2019/11/15 14:52
- 更新日時
- 2020/07/03 11:24
- 管理番号
- 広県図2019172
- 質問
-
解決
内務省警保局の調査による1944年当時の広島県の朝鮮半島出身者の人口について記載のある資料が見たい。
また,このほかに原爆投下前後の広島県又は広島市にいた朝鮮半島出身者の数が分かる資料があるか。
- 回答
-
このことについては,次のとおりです。
【 】内は,当館請求記号です。
1 内務省警保局の調査による1944年当時の広島県の朝鮮半島出身者の人口について記載のあった資料
1『在日朝鮮人関係資料集成 第5巻』朴慶植/編,三一書房,1976【316/B63/5】
p.62 内地在住朝鮮人帰鮮希望者見込数(昭和二〇・九・二五)
都道府県別に,在住総人口(昭和十九年末),集団移入労務者数(同上[昭和十九年末]),差引一般在住者数,同上中帰鮮見込者(四〇%)の統計があります。広島県の数値は順に,81,863人,5,944人,75,919人,30,367人です。
2『白いチョゴリの被爆者』広島県朝鮮人被爆者協議会/編,労働旬報社,1979【H99/Sh89ア】
p.245-270 「被爆朝鮮人問題と「朝被協」―解説にかえて」李実根
p.250-256 軍都ヒロシマ―朝鮮人ヒバクシャ
p.252 「一九四四年一二月末現在、広島県内には八万一八六三名の朝鮮人が住んでいたとされている(旧内務省警保局)。」との記載があります。
3『広島原爆戦災誌 第1巻』広島市役所/編集,広島市役所,1971【H26.1/H73/1ア】
p.51-202 原子爆弾の惨禍
p.151-202 人的・物的被害
p.168-173 朝鮮人・中国人
p.169 「内務省警保局調査の数字では、一九四三年(昭和十八年)の広島県在住朝鮮人は六八、二七四人、翌年には八一、八六三人と激増している。とすれば、被爆時広島市内には三万人くらいはいたと思われる。」との記載があります。
2 原爆投下の前後における広島県又は広島市の朝鮮半島出身者の人口について記載があった資料
『在日朝鮮人関係資料集成 第5巻』朴慶植/編,三一書房,1976【316/B63/5】(前出)
p.11-66 内閣決定・内務省警保局通牒その他
p.30 朝鮮人視察要員配置内訳 一九四五年 内務省
都道府県別に,「昭和二十年度内地在住朝鮮人推定人員」の統計が掲載されています。広島県の数値は,75,919人です。
4『広島県史 近代2』広島県/編,広島県,1981【H21/H73-3/7ア】
p.1009-1092 原爆と敗戦
p.1034-1067 原爆の被害
p.1034-1041 被爆直前の広島
p.1040-1041 在広外国人
p.1040 「被爆直前の広島には、朝鮮・(略)などの国民が、(略)居住していた。しかし、
在広外国人の大部分は朝鮮人で、(略)彼らの多くは、広島市の周辺部およびその近郊で集団的生活をし、(略)その数については、五万二〇〇〇人から五万三〇〇〇人におよぶとの推定もある(略)」との記載があります。
出典は,「広島県朝鮮人被爆者協議会『白いチョゴリの被爆者』」とあります。
『白いチョゴリの被爆者』広島県朝鮮人被爆者協議会/編,労働旬報社,1979【H99/Sh89ア】(前出)
p.245-270 「被爆朝鮮人問題と「朝被協」―解説にかえて」李実根
p.250-256 軍都ヒロシマ―朝鮮人ヒバクシャ
p.251 1945年8月6日現在の地域別の人口数(推定)の表が掲載されています。広島県,広島市の値は次のとおりです。
広島県 85,000~86,000人
広島市 52,000~53,000人
p.256 被爆者数
「当時広島市に在住していたとみられる朝鮮人数 五三、〇〇〇(推定)」との記載があります。
『広島原爆戦災誌 第1巻』広島市役所/編集,広島市役所,1971【H26.1/H73/1ア】(前出)
p.51-202 原子爆弾の惨禍
p.151-202 人的・物的被害
p.168-173 朝鮮人・中国人
p.168 「終戦直後の広島県下在住朝鮮人は約六万人、このうち三、四万人が広島市内にいて被爆した(略)」との記載があります。
5『広島新史 都市文化編』広島市/編集,広島市,1983【H21.1/H73-4/5ア】
p.301-390 都市のなかのマイノリティー ―在日朝鮮人の戦後生活と文化―
p.305-313 終戦までの朝鮮人社会
p.310-311 被爆朝鮮人
p.310 「在日大韓民国居留民団広島県本部では,昭和20年8月6日の原爆投下当時,広島市にいた朝鮮人は約4万5,000人,そのうち,2万7,000人から2万8,000人が犠牲になったと推定している。(略)本川橋西詰にある「大韓民国人原爆犠牲者慰霊碑」の碑文には,当時広島にいた5万人を下らない「同胞」のうち,2万余人が死亡したと刻まれている。」との記載があります。
この推定の根拠として『新編広島県警察史』1954年の記述が紹介されています。
p.310-311 「生存者のうち,母国に帰った人々は,韓国原爆被害者協会を組織し,(略)そこでは,広島の被爆者を7万人,(略)と推定している。」との記載があります。
p.311 『白いチョゴリの被爆者』広島県朝鮮人被爆者協議会/編,労働旬報社,1979【H99/Sh89ア】(前出)を出典とした「広島の朝鮮人人口」(1945年8月6日現在での推定人口数)の表があります。
このほかに,「在広朝鮮人被爆者についての一考察」(『芸備地方史研究』90・91号)及び『被爆韓国人』(朝日新聞社刊)の記述が紹介されています。
6『芸備地方史研究 81-95』芸備地方史研究会/編,1969-1973【H20/G32/81-95】
第90号(昭和47年3月15日発行)
p.11-17 「在広朝鮮人被爆者についての一考察(一)」上原敏子
p.12-17 在広朝鮮人被爆の状況
p.12-13 在広朝鮮人の形成
p.12 「第1表 広島県の朝鮮人人口」に,1944年の人数は81,863人と記載があります。備考によると,内務省警保局の調べとなっています。
p.13-14 朝鮮人被爆の状況
p.13 「民団広島県本部の代表が明らかにしたところによると、朝鮮人被爆者は軍関係一万人、徴用工を含め一般三万五、〇〇〇人、うち二万七、〇〇〇~八、〇〇〇人が死亡したであろうということであった。のちに明らかにされた在日朝鮮人被爆者、在韓被爆者の概数および推定数を考慮に入れるならば、広島市において被爆した朝鮮人は、ほぼ四万三、〇〇〇~四、〇〇〇人と考えられる。」との記載があります。
第91号(昭和47年6月15日発行)
p.1-9 「在広朝鮮人被爆者の現況(二)」上原敏子
p.1-2 被爆後の在広朝鮮人
p.1 「広島県の場合は、終戦当時県下に居住していたと推定される約六万人の朝鮮人のうち、一九四六年三月までに約三五,〇〇〇人が帰還し、」との記載があります。
p.2 1952~1968年に広島県内に居住していたとされる朝鮮人の人数について,数年おきの推移の記載があります。
7『被爆韓国人』朴秀馥,郭貴勲,辛泳洙/編著,朝日新聞社,1975【H99/H54ア】
p.295-299 韓国原爆被害者援護協会の現況報告書 一九七二年四月
p.296 韓国人被害状況
「被爆当時(状況)」として,総被害者,死亡者,生存者,帰国者,僑胞残留の人数が広島,長崎それぞれについて掲載されていますが,推定値であると思われます。
8『新編広島県警察史』広島県警察史編修委員会/編,広島県警察連絡協議会,1954【H31/Sh69/1ア】
p.894-905 第三国人(主として朝鮮人)の暴挙と警察
p.895 「終戦直後の広島県下在住朝鮮人は約六万人と推定されるが、(略)」との記載があります。
9『広島・長崎朝鮮人の原爆被害に関する真相調査:強制動員された朝鮮人労務者を中心に』鄭惠瓊/責任編集,許光茂/責任監修,対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会,2015【H369/テイケ115ア】
p.22 広島県と中国地方居住朝鮮人人口の推移
1937年~1945年までの人口が記載されています。
出典は,「内務省警保局調査による朝鮮人人口」とあります。
10『ヒロシマを持ちかえった人々:「韓国の広島」はなぜ生まれたのか』市場淳子/著,新装増補版,凱風社,2005【H369/イチシ100aア】
p.264-277 広島の朝鮮人
p.265 図6 在日・在広島朝鮮人増加動向
p.264の説明には,「広島県および日本全国在住の朝鮮人数を、一九四四年を一〇〇とする指数で折れ線グラフに示したものが次ページの図6である。」とあります。指数での表記のため,具体的な人数の記載はありません。
出典は,「「内務省警保局統計」『在日朝鮮人関係資料集成(第1巻~第5巻)』」とあります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国地方 (217 9版)
- 参考資料
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-
朴慶植 編著 , 朴慶植 , 朴慶植 , 朴慶植. 在日朝鮮人関係資料集成 第5巻. 三一書房, 1976.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I003921233-00 -
広島県朝鮮人被爆者協議会 編 , 広島県朝鮮人被爆者協議会. 白いチョゴリの被爆者. 労働旬報社, 1979.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001424288-00 -
広島市役所/編集 , 広島市. 広島原爆戦災誌 第1巻. 広島市役所, 1971.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005605938-00 -
広島県/編 , 広島県. 広島県史 近代2. 広島県, 1981.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I074406428-00 -
広島市 編 , 広島市. 広島新史 都市文化編. 広島市, 1983.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001652102-00 -
芸備地方史研究会/編 , 芸備地方史研究会. 芸備地方史研究 81-95. 1969.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I074628896-00 -
朴秀馥, 郭貴勲, 辛泳洙 編著 , 朴, 秀馥, 1930- , 郭, 貴勲, 1924- , 辛, 泳洙, 1913-1999. 被爆韓国人. 朝日新聞社, 1975.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001178736-00 -
広島県警察史編修委員会/編 , 広島県警察史編修委員会. 新編広島県警察史. 広島県警察連絡協議会, 1954.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I074196438-00 -
対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会/編 , 河井 章子/翻訳 , 対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会 , 河井‖章子. 広島・長崎 朝鮮人の原爆被害に関する真相調査 : 強制動員された朝鮮人労務者を中心に. 対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会, 2015.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I068429002-00 -
市場淳子 著 , 市場, 淳子, 1956-. ヒロシマを持ちかえった人々 : 「韓国の広島」はなぜ生まれたのか 新装増補版. 凱風社, 2005.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007777163-00 , ISBN 4773629088
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朴慶植 編著 , 朴慶植 , 朴慶植 , 朴慶植. 在日朝鮮人関係資料集成 第5巻. 三一書房, 1976.
- キーワード
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- 原子爆弾
- 朝鮮半島出身者
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000265299