下記(1)(2)をご案内したところ(特に(2))、史学会と歴史資料館に伝手があるため尋ねてみるとのこと。
若松県知事としての林兼善(立木兼善・林徹之丞)について記されている資料は下記の通り。
1.会津若松に到着した記述のある資料
*(1)『明治の士族 福島県における士族の動向』高橋哲夫/著 歴史春秋社 1980
→p.48-49 林兼善について、「かれは附属官七名と共に六月七日に東京を出発し、六月十四日に若松に到着[中略](『会津若松史』では、林知事は若松に赴任しないでしまったとある)[後略]」との記述あり。下記の引用。
*(2)『福島史学研究 復刊第27,28合併号(通巻第33,34合併号)』福島県史学会 1979
→p.81-91 「明治初年の政府直轄領の形成―会津地方の場合―」佐藤公彦/著
→p.88-89 「林撤之丞は附属官七名と共に六月七日東京を出発して六月十四日会津若松に到着し」との記述あり。出典は「福島県庁文書」。
2.会津若松に到着したか明確でないが、在任したことが書かれた資料
*(3)『ふくしま知事列伝』高橋哲夫/著 福島民報社 1988
→p.44-45 「林 兼善」の項あり。「若松県にはわずか三ヵ月の在任で、同年八月二十七日昇格して福島県知事に転出した」との記述あり。
*(4)『福島県史 第15巻 各論編』福島県/編 福島県 1968
→p.113 初代若松県知事には林兼善(阿波藩出身)が就任し、同年八月二十七日、福島県知事となって転任するまで若松県政を担当した」との記述あり。
3.若松には赴任しなかった記述のある資料
*(5)『会津若松史 第6巻 明治の会津』会津若松史出版委員会/編 会津若松市 1966
→p.12 「若松県の初代県知事は判事林徹之丞が任命になったが、若松には赴任しないでしまった」との記述あり。
*(6)『図説会津の歴史 下巻』間島 勲/編 郷土出版社 1999
→p.89 林兼善について「実際には若松に赴任しないまま七月二○日に設置された福島県知事となった」との記述あり。
*(7)『会津近代の始まり 復興、そして若松市の誕生 会津若松市史8 歴史編8 近代明治』会津若松市史研究会/編 会津若松市 2006
→p.8 「初代の若松県知事には林兼善(徳島藩)が任命されたが、赴任しないまま同年七月に設置された福島県知事に発令されている」との記述あり。
*(8)『福島県警察史 第1巻』福島県警察史編さん委員会/編 福島県警察本部 1980
→p.198 林徹之丞について「若松には着任しないでしまったという」との記述あり。(引用若松市史)
4.そのほか
*(9)『会津人物文献目録 2』野口信一/編纂 歴史春秋出版 1992
→p.261 (3)の記述あり。