以下の資料に関連の記述を確認しました。
・『栃木県神社誌』(栃木県神社庁/編 栃木県神社庁 2006)
p.615-616 「第一九章 上三川町」に「天満宮 天神様」の項があります。
「…(前略)…寛弘四(1007)年、…(中略)…筑紫の太宰府天満宮より御祭神が愛で給う八英の梅の実をいただいてこの地に蒔いた。」
・『上三川町史 通史編 上』(上三川町史編さん委員会/編 上三川町 1981)
p.366 「第2章 上三川地域の寺社」「第4節 上三川町域の神社」の中に「天満宮」の項があります。「本社は一国一社威徳天神といい、寛弘四年(1007)…(中略)…北野より分霊を請うて一国一社の碑を立てたという。本社は史跡多功廃寺跡にあり八ツ房の梅の古木があった。」
・『栃木縣史 第3巻(神社編)』(田代善吉/著 臨川書店 1972)※下野史談会刊の複製
p.255-256 「第十六章 村社」「第二節 村社沿革大要」の中に「天満宮」の項があります。
「明治村大字多功にあり、…(中略)…寛弘四年…(中略)…一國一社の碑を立て、八總の梅敷十株を植え今も梅木は境内に繁れりと、…(後略)…」
・『天満天神信仰の教育史的研究』(遠藤泰助/著 講談社 1966)
p.93 「第二章 天満宮の普及」「第三節 天満宮勧請の動機」「一 文学、書道、学問としての勧請」の中に「旧村社 天満宮」の項があります。
「…(前略)…寛弘四年…(中略)…一國一社の碑石を立又八房の梅數株を植て其梅樹社地に繁茂して今に存せり。」
以下の資料もお調べしましたが、記述は確認できませんでした。
・『下野神社沿革誌 5 河内郡・宇都宮市部』(風山廣雄/編 風山廣雄 1903)
・『上三川町誌』(塩谷三夫/編、発行1950)
・『上三川町誌』(上三川町史編さん委員会/編 上三川町 1975)
・『上三川町の古代史』(上三川町文化財研究会/編、発行 1976)
・『上三川町史 史料編 近世』(上三川町史編さん委員会/編 上三川町 1979)
・『梅の文化誌』(梅花女子大学日本文学科/編 和泉書院 2001)