明確な開始年は特定できませんでしたが、以下の資料から、開始時期に関する記述を確認しました。
・『藤原町史 通史編』(藤原町史編さん委員会/編 藤原町 1983)
※藤原町は合併により現在は日光市となっています。
p.858「鶏頂高原見晴スキー場」の項に「(昭和)五十年には「鬼怒川ライン下り」を開発し、夏の観光開発にも進出して、地元資本による温泉郷の観光開発の先頭に立って活躍している。」とあります。
これを元に、地元新聞社発行の年鑑から、昭和50年前後の観光情報を確認しました。
・『栃木年鑑 昭和48年度』(栃木新聞社編集局/編、発行 1973)
昭和48年3月15日印刷、昭和48年3月20日発行の資料です。
p.176-177「観光要覧」の「鬼怒川・川冶温泉」の項を確認したところ、「鬼怒川ライン下り」の見出しがありました。(p.176)
説明として「東武鬼怒川温泉駅の下から六キロ約五十分の船下り。」とあります。
・『栃木年鑑 昭和47年度』(栃木新聞社編集局/編、発行 1972)
昭和47年3月15日印刷、昭和47年3月20日発行の資料です。
p.210-211「観光要覧」の「鬼怒川・川冶温泉」の項を確認しましたが、「鬼怒川ライン下り」の見出しはありませんでした。
※『栃木年鑑』の昭和49~52年度には「鬼怒川ライン下り」の見出しがありました。