レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 所沢市立所沢図書館 (2310110) | 管理番号 (Control number) | 所沢新所-2017-002 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
事例作成日 (Creation date) | 2014/03/20 | 登録日時 (Registration date) | 2017年05月27日 00時30分 | 更新日時 (Last update) | 2017年05月31日 08時20分 | |||||||||
質問 (Question) | サンジェルマン条約について記載されている資料を探している。 | |||||||||||||
回答 (Answer) | サンジェルマン条約について以下の資料に記載があります。 〇『世界大百科事典 11』 平凡社 2007年 〇『詳説世界史研究』 木下康彦/編 山川出版社 2008年 〇『ヨーロッパの歴史』 フレデリック・ドルーシュ/総合編集 東京書籍 1994年 〇『岩波講座世界歴史 25』 岩波書店 1974年 〇『三省堂世界歴史地図』 ピエール・ヴィダル=ナケ/編 三省堂 1995年 〇『オーストリアの歴史』 リチャード・リケット/[著] 成文社 1995年 〇『戦争と自由』 淡徳三郎/著 改造社 1941年 「国立国会図書館デジタルコレクション」で閲覧できます。 また、下記インターネットページにも記載があります。 〇「United States Holocaust Memorial Museum」ホームページ 「第一次世界大戦:条約と戦争賠償金」 〇「国立公文書館デジタルアーカイブ」 件名「同盟及聯合国ト墺地利国トノ平和条約訳文」 | |||||||||||||
回答プロセス (Answering process) | 1、所蔵資料の内容確認 〇『世界大百科事典 11』 平凡社 2007年 p.487「サンジェルマンじょうやく サンジェルマン条約」の項目 「第一次世界大戦後のオーストリアと連合国の間の講和条約。サン・ジェルマンは条約が調印された(1919年9月10日)パリ西郊の町サン・ジェルマン・アン・レーを指す。連合国は、かつてのオーストリア・ハンガリー帝国内の少数民族の独立に民族自決の原則を適用する一方、しばしば戦勝国、とくにフランスの戦略的利害を優先させるという矛盾した立場をとった。こうして新オーストリア共和国は旧帝国領のうち首都ウィーンと周辺の農村および山岳地帯に限定され(戦前の領土の1/4)、残りはチェコスロバキア、ユーゴスラビア、イタリア、ポーランド、ルーマニアに割譲された。しかも戦略上の理由から、ドイツ系のズデーデン地方がチェコスロバキアに与えられ、同じドイツ語圏のオーストリアとドイツの合併は事実上永久に禁止された。このほかに徴兵制度の禁止、軍備縮小が規定された。また、賠償責任は規定されていたものの、一度も履行されることなく撤回され、またドイツとの合併禁止も、1938年3月、ナチス・ドイツによるアンシュルス(合邦)によって破棄された。」と記載あり。 上記により、「サンジェルマン条約」「第一次大戦」「オーストリア」「講和条約」等をキーワードにさらに検索。 〇『詳説世界史研究』 木下康彦/編 山川出版社 2008年 p.463「対オーストリア講和条約(サン=ジェルマン条約St.Germani)は1919年9月に結ばれ、オーストリアは戦前とくらべて面積・人口ともに4分の1に縮小され、ドイツ人のみの小共和国となった。」と記載あり。 〇『ヨーロッパの歴史』 フレデリック・ドルーシュ/総合編集 東京書籍 1994年 p.328「②講和条約」に以下の記載あり。 「2)オーストリアとのサンジェルマン条約(1919年9月10日) ・ハンガリーとオーストリアとの分離。 ・南チロルからブレンナー峠までのイタリアへの割譲。 ・チェコスロバキア、ポーランド、ハンガリー、ユーゴスラヴィアの独立承認。 ・軍備の制限(なかでも兵力を3万人以下に削減)。 ・賠償支払い。」 〇『岩波講座世界歴史 25』 岩波書店 1974年 5 第一次世界大戦の終結-6 他の諸国との講和条約 の章に、 p.36「ヴェルサイユ条約に続いて、同年九月十日オーストリアに対するサン・ジェルマン条約、同年十一月二十七日にブルガリアに対するヌイイー条約、一九二〇年六月四日ハンガリーに対するトリアノン条約、同年八月十日トルコに対するセーヴル条約がそれぞれ締結された。」「これらの諸講和条約は、内容上ヴェルサイユ条約と密接に関連して一貫した戦後国際秩序を構成しており、全体としてヴェルサイユ体制と呼ばれる。」と記載あり。 〇『三省堂世界歴史地図』 ピエール・ヴィダル=ナケ/編 三省堂 1995年 p.268-269「第1次世界大戦の戦後処理」の項目。「平和条約」というタイトルの地図は平和条約によって誕生した新国家を赤い国境線で表記している。サンジェルマン条約についても表記あり。 〇『オーストリアの歴史』 リチャード・リケット/[著] 成文社 1995年 p.124-132「第七章 カール皇帝、第一次世界大戦の終結、君主制の終焉」にオーストリアの当時の国状とともに、講和交渉からサンジェルマン条約締結に至った一連の状況について記載あり。 2、インターネット検索 〇『戦争と自由』 淡徳三郎/著 改造社 1941年 p.9-10「サン・ジェルマン條約」の記載あり。 「国立国会図書館デジタルコレクション」で閲覧可能。 〇「United States Holocaust Memorial Museum」ホームページ 「第一次世界大戦:条約と戦争賠償金」に「1919年9月10日に締結されたサンジェルマン条約により、ハプスブルク地方のドイツ語圏の大部分を切り取ったオーストリア共和国が樹立されました。オーストリア帝国は、チェコスロバキア、ポーランド、スロベニア国、クロアチア、セルビア(1929年にユーゴスラビアと改名)などの新たに設立された王領を割譲させられました。また、南チロル、トリエステ、トレンティノ、イストリアをイタリアに、ブコビナをルーマニアに譲渡しました。条約の重要な原則は、オーストリアが新たに形成した独立性を譲歩しないようにすることでした。この制限により、オーストリアがドイツと統一を図ることを効果的に防止しました。」と記載あり。 〇「国立公文書館デジタルアーカイブ」 件名「同盟及聯合国ト墺地利国トノ平和条約訳文」 サンジェルマン条約訳文の掲載あり。 3、確認をしたが記載のなかった資料は以下の通り ×『世界の戦争・革命・反乱 』 自由国民社 1994年 ×『世界の歴史 14』 中央公論社 1977年 ×『ヴェルサイユ条約』 牧野雅彦/著 中央公論新社 2009年 | |||||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | ||||||||||||||
NDC |
| |||||||||||||
参考資料 (Reference materials) |
| |||||||||||||
キーワード (Keywords) |
| |||||||||||||
照会先 (Institution or person inquired for advice) | ||||||||||||||
寄与者 (Contributor) | ||||||||||||||
備考 (Notes) | ||||||||||||||
調査種別 (Type of search) | 事実調査 | 内容種別 (Type of subject) | その他 | 質問者区分 (Category of questioner) | 一般 | |||||||||
登録番号 (Registration number) | 1000216611 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |