レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 栃木県立図書館 (2110002) | 管理番号 (Control number) | r078 | |||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2010年12月17日 | 登録日時 (Registration date) | 2011年12月24日 14時11分 | 更新日時 (Last update) | 2014年12月24日 16時45分 | |||||
質問 (Question) | 1873年5月にウィーンで起こった、株式市場大暴落について書かれた資料はないか。 | |||||||||
回答 (Answer) | 西洋の経済史関係の資料に掲載されていると考え、「1973年」「不況」「暴落」といった単語を基に調査しました。質問の「ウィーンで起こった株の暴落」について直接言及している資料は確認できませんでしたが、1873年に起こった恐慌と、その後に続いた大不況について言及している資料はいくつか見つかりました。 『体系経済学辞典 第6版』(高橋泰蔵/編集 増田四郎/編集 東洋経済新報社 1984) 「大不況(1873-96年)」の項があります。ただし、説明の中心はイギリスについてです。 『西洋経済史学』(馬場哲/編 小野塚知二/編 東京大学出版会 2001) 「8 大不況と帝国主義の時代のヨーロッパ社会」(p247-270)の中に、「この『大不況』の開始となった1873年の恐慌」とあり(p250)、大不況に関する状況が確認できます。 『西洋経済史』(松田智雄/編 青林書院新社 1982) 「大不況期」(吉岡昭彦/著 p274-279)の章などに、「一八七三年恐慌」「大不況期」についての記述があります。なお、「大不況期」とは、「一八七三年から一八九六年にいたるまで」を指し、「慢性的・構造的不況を招来し、資本制生産の成長を鈍化せしめ」たと述べられています。 また、上記資料より、1873年に恐慌が起こったのは確かなようでしたので、その当時ウィーンを治めていたのがハプスブルク家であったことから、ハプスブルクの歴史関係の資料を確認しました。以下の資料に簡単な記述がありました。 『ハプスブルク君主国 1765-1918 マリア=テレジアから第一次世界大戦まで』(ロビン・オーキー/著 三方洋子/訳 山之内克子/監訳 秋山晋吾/監訳 NTT出版 2010) 「第八章 経済、一八六七-一九一四年」に記載があります。 『オーストリア史』(エーリヒ・ツェルナー/著 リンツビヒラ裕美/訳 彩流社 2000) p516に、「一八七三年五月九日の『暗黒の金曜日』といわれた『大恐慌』」についての言及があります。 下記資料には、記載が確認できませんでした。 ・『西洋経済史講座 封建制から資本主義への移行 5』(大塚久雄/〔ほか〕編著 岩波書店 1962) ・『世界経済史 世界資本主義とパクス・ブリタニカ』(入江節次郎/編著 ミネルヴァ書房 1997) ・『10万年の世界経済史 上、下』(グレゴリー・クラーク/著 久保恵美子/訳 日経BP社 2009) ・『欧州経済史』(大塚久雄/著 岩波書店 2001) ・『ハプスブルク帝国の情報メディア革命 近代郵便制度の誕生』(菊池良生/著 集英社 2008) ・『ハプスブルク一千年』(中丸明/著 新潮社 1998) ・『ハプスブルク帝国史 中世から1918年まで』(ゲオルク・シュタットミュラー/〔著〕 丹後杏一/訳 刀水書房 1989) | |||||||||
回答プロセス (Answering process) | ||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | ||||||||||
NDC | ||||||||||
参考資料 (Reference materials) | ||||||||||
キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | ||||||||||
寄与者 (Contributor) | ||||||||||
備考 (Notes) | ||||||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 | 内容種別 (Type of subject) | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | ||||||
登録番号 (Registration number) | 1000098955 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |