レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年4月19日
- 登録日時
- 2019/05/23 13:28
- 更新日時
- 2019/09/03 09:53
- 管理番号
- 埼熊-2019-010
- 質問
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未解決
「平家物語8巻」の鼓判官に出てくる「矢島(八島)四郎行綱」と、「源平盛衰記」に出てくる「矢島(八島)四郎行忠」の関係をを知りたい。
- 回答
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「矢島(八島)四郎行綱」と「矢島(八島)四郎行忠」の関係について明記されている資料は確認できなかった。
- 回答プロセス
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1 参考図書を調べる。
『平家物語大事典』(大津雄一編 東京書籍 2010)
p165 「滋野幸親 しげのゆきちか」に「巻八「鼓判官」に見える矢島幸綱も、北佐久郡浅科村の矢島を本拠とする望月の一族であった。延慶本巻八、長門本巻十五、盛衰記三四は幸綱を楯野親忠の弟としており、それならば幸親の息となる。」とあり。
滋野幸親は、『滋野氏系図』(続群書類従)では滋野信綱の息、『信州滋野氏三家系図』では(望月)国親の息。
2 《Google》を〈矢島(八島)四郎行忠&行綱〉で検索する。
3 《Google ブックス》(http://books.google.co.jp/ Google)を〈矢島(八島)四郎行綱〉〈矢島四郎行綱〉 〈八嶋行忠〉で検索する。
『長野県史 通史編 第2巻 中世1』(長野県編 長野県史刊行会 1986)
p62-36「〔木曽〕義仲の武士団」
「八〔矢〕島行忠(北佐久郡浅科村)」の記載あり。「行綱」の表記なし。
4 系図関係資料を調査する。
『系図研究の基礎知識 家系にみる日本の歴史 第1巻 序章・古代・中世1』(近藤安太郎著 近藤出版社 1989)
p654「滋野三氏の系図がもっともわかりにくいが、一応『古代氏族系譜集成』の記すところに従う。(中略)根井行親の子には、楯六郎親忠・八嶋(矢島)四郎行忠らがあって、『源平盛衰記』などに見える。」とあり。
『古代氏族系譜集成 中巻』(宝賀寿男編著 古代氏族研究会 1986)
p894-897「滋野朝臣(ニ)梅野、祢津、望月氏」の系図あり。
p895に「行忠 八嶋四郎」の名あり。
兄弟は、「行忠(八嶋四郎)-親忠(楯六郎)-行直(次郎)-行永(小弥太)親直・行氏」の順に名がある。「行綱」の名なし。
『続群書類従 第7輯 上 系図部』(塙保己一編 続群書類従完成会 1958)
p497-500「滋野氏系図」に行親(根井小彌太)あり。父は信綱、息は親忠(楯六郎治部大夫)。
p500-506「信州滋野氏三家系図」に行親(根井小彌太)あり。親忠(楯六郎)は息。
5 雑誌論文を調べる。
《CiNii Articles》(http://ci.nii.ac.jp/ 国立情報学研究所)を検索する。
(1)〈八嶋四郎行綱〉で全文検索する。
《関西学院大学リポジトリ》(https://kwansei.repo.nii.ac.jp/ 関西学院大学)
武久堅著「平家物語・「横田河原合戦」の木曽義仲造型 -「武水別神社・八幡宮大本堂」からの発進」(『日本文藝研究 54(4)号』p19-39 関西学院大学 2003.3)
根井行親(根井小野太幸親)、楯六郎親忠〔タテノロクロウチカタダ〕八嶋四郎行綱〔ヤシマシロウユキツナ〕兄弟の名あり。「行忠」について記述なし。
(2)〈八嶋四郎行忠〉で検索する。
6 自館目録を〈楯六郎親忠〉〈木曽義仲〉で検索する。
『木曽義仲に出会う旅』(伊藤悦子著 新典社 2012)
p52-54「佐久・丸子の旅 佐久武士と義仲挙兵の地」
「正法寺と根井行親(ねのいゆきちか)供養塔 行親と嫡子楯六郎親忠についての記述あり。
『勇将楯六郎親忠と矢田判官代義清』(鳥川録四郎著 鳥川録四郎 1989)
p24「○根井氏系図-滋野-根井」
p25 四郎行忠についての記述あり。
p27「征夷大将軍 木曽義仲公 御霊屋牌階略図」に〈矢嶋四郎行忠〉の名あり。
p28「源義仲軍に参加した諸将士」に「東信地区 矢島四郎行忠」とあり。(系図では矢島四郎幸忠と表記)
7 「矢島(八島)氏」を調べる。
『姓氏4000歴史伝説事典』(志村有弘編 勉誠出版 2006)
p1183「矢島(やしま・やじま)」
「【発祥・系譜・分布】八島にも通じる。信濃には望月氏の支流がいて佐久郡矢島が発祥。【人物】信濃矢島氏に八島四郎行忠がいて、木曾義仲に従った。」とあり。「行綱」の表記なし。
『角川日本姓氏歴史人物大辞典 20 長野県姓氏歴史人物大辞典』(竹内理三〔ほか〕編纂 角川書店 1996)
p970「【ニ】中世、佐久郡矢島(浅科村)より起こる矢島氏がある。滋野氏氏族。『源平盛衰記』には木曽義仲に属した矢島四郎行忠が、『承久兵乱紀』では官軍の中に「やしまの次郎」の名が見える。なお、矢島地内の城平に矢島氏のものと伝える山城がある。」とあり。「行綱」についての表記なし。
〈調査済み資料〉
『人物レファレンス事典 古代・中世・近世編 2(1996-2006)せ-わ』(日外アソシエーツ 2007)
『人物レファレンス事典 古代・中世・近世編〔2〕(せ-わ)』(日外アソシエーツ 1996)
『日本中世内乱史人名事典 上巻』(佐藤和彦〔ほか〕編 新人物往来社 2007)』
『朝日将軍木曾義仲 史実と小説の間』(長島喜平著 国書刊行会 1990)
『物語日本の歴史 その時代を見た人が語る 第10巻 源平の戦い』(笠原一男編 木耳社 1997)
『長野県町村誌 第2巻 東信篇』(長野県編纂 郷土出版社 1985)
『日本の武将 第6 木曽義仲』(人物往来社 1966)
ウェブページ・データベースの最終アクセス日は2017年4月19日。
- 事前調査事項
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1 『平家物語 三』(梶原正昭[ほか]校注 岩波書店 1999)の注に行綱は信濃国佐久郡矢島に移り住んだとある。
2 国会図書館デジタルコレクションには同じ場所に該当箇所がなかった。(見る人皆手を敲いて…の一文の後、主上は池に…となっている)
3 平家物語の延慶本として(http://www.j-texts.com/heike/engyo/he08.html)を検索すると「やしまのしらうゆきつなと申者にて候」とあり。
(http://jti.lib.virginia.edu/etcbin/ot2www-japanese?specfile=%2Fweb%2Fdata%2Fjapanese%2Fsearch%2Fjapanese.o2w&lang=en&query=%C8%AC%C5%E7%BB%CD%CF%BA&relate=near&amt=40&query2=&docs=TEI2&auth=&title=&sample=1-100&grouping=work)
「八島四郎」で検索すると、源平盛衰記にて、行忠2か所、行綱1か所あり、平家物語も8巻の該当箇所のみ行綱の名があった。
4 源平盛衰記で「楯の六郎親忠が弟に、八島四郎行綱」とある。
5 『矢嶋城興亡史』p20、p32に根井大弥行親の子として、「館行綱」「矢島四郎行忠」の記述あり。(楯(館)六郎親忠の名もある。)
6 『矢嶋城興亡史』P36では「矢嶋四郎行忠以下諸将も戦死した。」とあるが、矢嶋ヶ原の領主に矢嶋四郎がなったとあり。
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 日本 (281 9版)
- 小説.物語 (913 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 日本-文学-鎌倉時代
- 平家物語
- 源平盛衰記
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000256276