レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20210612
- 登録日時
- 2021/07/08 00:30
- 更新日時
- 2021/12/30 19:54
- 管理番号
- 0400000384
- 質問
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解決
東京都町田市に母智丘(もちお)神社があるが、都城市と関係があるか。
また、黒木昇、ハナについて知りたい。
- 回答
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町田市の母智丘神社は、1919(T8)年、黒木昇、はな夫妻によって創建された。
都城市の母智丘大神の神徳に感得した両人が分霊を勧請、現在の町田市の自宅に奉鎮したのが始まりである。
<母智丘神社(町田市)ホームページ>
http://www7b.biglobe.ne.jp/~mochiojinjya/
最終確認日:2021年7月16日
都城市の母智丘神社は、1870(M3)年に都城地頭の三島通庸が庄内地区の鎮守として建立改称したもの。
参道には桜が植栽され、日本の桜百選にも選ばれている。
黒木昇は、1876(M9)年、宮崎県北諸縣(きたもろかた)郡都城町(現在の都城市)に生まれる。
旧姓は坂元。1904(M37)年に黒木はなと結婚し、黒木姓となる。
のちに東京府南多摩町田町原町田(現在の町田市)に住む。
1919(T8)年より母智丘神社に従事。1954(S29)年、79歳にて他界。
黒木はなは、1881(M14)年、岐阜県大野郡白川村荻町に生まれる。
※参考文献の『母智丘神社創建100年記念誌』によると、名前は「はな」と平仮名書き。
生まれは「萩町」とあるが「荻町(おぎまち)」のまちがいと思われる
(『岐阜県(角川日本地名大辞典 ; 21)』のp193参照)。
1904(M37)年に坂元昇と結婚。1940(S15)年、61歳にて他界。
- 回答プロセス
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「母智丘」をキーワードに業務用システムを検索。
ヒット資料のうち、町田市の母智丘神社に関する記述があるものは『母智丘神社創建100年記念誌』のみ。黒木昇、はなについても詳しい紹介あり。
ヒット資料とは別に『都城市史 : 別編』や『東京都(角川日本地名大辞典 ; 13)』などにもあたるが、町田市の母智丘神社に関する記述は見られなかった。
「母智丘神社 町田市」をキーワードにインターネット(グーグル)にて検索したところ、母智丘神社のホームページが見つかった。
黒木昇、はなについては、業務用システムではヒットなし。インターネット(グーグル)でも該当者と思われるヒットなし。『都城市史 : 史料編 : 近現代』1-6巻の『索引』にて「黒木昇」「坂元昇」「黒木はな」を探すも該当者なし。
前述の『母智丘神社創建100年記念誌』と、ホームページURLのみの提供となった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 神社.神職 (175 10版)
- 九州地方 (219 10版)
- 日本 (291 10版)
- 参考資料
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- 母智丘神社創建100年記念誌 / 黒木亀(母智丘神社)2019
- 都城市史 : 別編 : 民俗・文化財 / 都城市史編さん委員会(都城市)1996 (p1051-1052:母智丘神社)
- 都城盆地史跡ガイドブック ; 1 : 旧都城市編 / 山下博明 ; 編(南九州文化研究会)2014 (p119:母智丘神社)
- 岐阜県 / 角川日本地名大辞典編さん委員会(角川書店)1980(角川日本地名大辞典 ; 21)
- キーワード
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- 都城市
- 町田市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000301504