レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20191220
- 登録日時
- 2020/07/03 00:30
- 更新日時
- 2020/10/17 17:34
- 管理番号
- 0401001530
- 質問
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解決
細川忠興と一色義定の関係について、細川忠興が希首座(きっそ)を大徳寺で殺した。
1、一色義定との関連は何か?
2、祠が熊本県立図書館裏に有る経緯を知りたい。
- 回答
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1、希首座と一色義定との関係。
希首座の父が一色義定(義有)。
2、祠が自館裏に有る経緯について。
以前、細川内膳家の下屋敷があり、伝来の名刀希首座を供養するために祠が建てられた。供養のため祠を建てる原因になった「のろい」については回答プロセスに記載。
- 回答プロセス
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1、『熊本市にある旧江津歌壇(旧砂取邸)庭園の変遷に関する研究』には「はぐるま10号13-14 江津荘物語 其の2」を参考文献で紹介していた。
2、「はぐるま10号の 江津荘物語2」は複写して、『江津荘物語 1~2 複写版 』として所蔵。
3、「はぐるま10号」江津荘物語(その二)14頁中ほど のろいについて
“忠興は此希首座手討の刀を記念のため其儘希首座と名付け秘蔵して居たが、恨みの一念は死す共死せず、夜毎々々丑三つ頃になると、忠興の寝間の軒の瓦ががらがらと落ちる、それからと思ふと怪しい呻き声が聞こえて来る、小姓役の堀久馬が寝ずの番をして居ると、縁側に怪しい青白い火が燃えて一人の法衣を着た坊主が肩先から血を流らかして立って居る。久馬は気も魂も突つとんで忠興を呼び起すと忠興は赫と怒り、「身分をも顧みず此我に祟るか」と飛びかかり様バツと斬れば、坊主の姿はかき消す如く消えて、其跡には血潮が滴たつて居る、こうした事が続いたので之には流石の勇将志興も弱つた。そしてよくよく考えて見れば父の仇修羅の妄執を晴さん殊勝な孝子の心掛であつたと思いついては不愍に思い、17日の読経希首座追善の法要を営なんだので、之から不思議な事もぴつたり止んだという事である。
其後毎年二月十七日の所謂祥月命日には、代々相ついで希首座祭が行はれ、細川内膳家の年中行事の一となつて居た。此刀希首座は鎮守堂が古色床敷残つている。”(原文ママ)
4、『あれこレファレンス ファイル No171』に「希首座」の項目あり。場所D1行政A(県立図書館作成資料)
5、『細川忠興軍功記 複写版』 97頁12行目~98頁12行目まで 一色殿についての記載あり。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『錦嚢移文』 巻12 写 [古],加々美 紅星子/編 (0113822100|C/080/キ/)
- 『熊本市にある旧江津歌壇(旧砂取邸)庭園の変遷に関する研究』,延藤 二三子/著,2003.5 (参考文献にはぐるまの記載あり、写真有。|0117939546|C/629/エ/)
- 『綿考輯録』 第2巻,出水神社,1988.9 (慶長19年探すが不明|0113826218|C/200.8/イ/)
- 『細川忠興軍功記 複写版』,牧 丞大夫/著,近藤出版部,1928年 (97頁98頁 一色殿について記載あり。|0110349008|C/283/ホ/)
- 『江津荘物語』 1~2 複写版,島田 真冨/著,島田真冨,1955.01 (「はぐるま」より 江津荘物語(其の1)、(其の2)を複写して製本化|0117098574|C/629.2/シ/(1))
- 『綿考輯録』 14 忠興君8 慶長6~15年,小野 武次郎/編,0000. (0114295462|/フアア/05527/)
- キーワード
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- 希首座
- きっそ
- 細川忠興
- 一色義定
- 希首座の祠
- 熊本県立図書館近くの祠
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000284005