レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20170721
- 登録日時
- 2019/04/12 00:30
- 更新日時
- 2019/04/17 00:30
- 管理番号
- 徳郷20170705
- 質問
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解決
昔、阿南で産出していた水銀が都に運ばれた経路を知りたい。
- 回答
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1.郷土DB 「水銀」で検索。
a.『阿南市史 第2巻』p672より、水銀産出地は水井町。若杉山の辰砂遺跡発掘で脚光を浴びている。
2.所蔵検索 雑誌記事/若杉山より
b.『徳島県立博物館研究報告 13』所収「徳島県阿南市の由岐水銀鉱山丹波坑口付近で採集した石杵 若杉山遺跡の広がりと関連して」の引用文献より
c.「弥生時代の水銀朱の生産と流通」 岡山真知子 p19-23(『考古学ジャーナル 438』 1998)
他に、全項目:水銀×予算区分:4
d.「弥生時代終末期における水銀朱の生産と流通」 岡山真知子 p323-(『論集 徳島の考古学』 2002)
徳島県内での水銀朱の搬出(経路)あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 各種の金属鉱床.採掘 (562 8版)
- 参考資料
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- 阿南市史 第2巻 (T240アナ21-2A672阿南市史編さん委員会/編 阿南市教育委員会事務局 1995.06)
- 徳島県立博物館研究報告 200303 (T69トク1519-23徳島県立博物館 2003)
- 考古学ジャーナル 1998 (202.5コオ19-23ニューサイエンス社 1998)
- 論集 徳島の考古学 (T202トク91A323徳島考古学論集刊行会/編 徳島考古学論集刊行会 2002.03)
- 卑弥呼と邪馬台国 (210.27シン59-新邪馬台国G5サミットin吉備編 テレビせとうち 2014.4)
- キーワード
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- 水銀 若杉山遺跡
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000254840