レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/10/01
- 登録日時
- 2014/06/21 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:36
- 管理番号
- M13121317166236
- 質問
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早島町出身の安原田兵衛について知りたい。
- 回答
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・『岡山県歴史人物事典』(資料①)では、「安原田兵衛」の項目はないが、「やすはら ともたね 安原智種」の項目で掲載されている。通称田兵衛。諱は因繁、のち智種。備中守。都宇郡塩津村(現早島町)の出身で江戸時代初期の鉱山師。天正年中(1573~92年)に石見銀山(島根県)に移住し、石見銀山の鉱山師となり、巨大な富を築いた。智種は石見に移住した後も、郷里の産神様への信仰を維持し続け、子息や同族とともに檀那となって吉備津神社御釜殿の再建を行っているほか、早島の御崎宮(現鶴崎神社)の再建などにも大檀那となって造営、寄進している。
・『豊洲の歴史』(資料②)によると、「安原備中守と豊洲」という項目の中で、早島町にはこの安原備中守(安原伝兵衛)を記念する碑がある。また資料①と同様に御崎神社、鶴崎神社などの建立にたずさわり、吉備津神社御釜殿を寄進した人物でもあることが書かれている。
・『吉備地方史の研究』(資料③)には、安原因繁(田兵衛)と石見銀山について、詳細に記述されている。特に、銀山奉行大久保長安から経費の支出を仰いだことや、釜屋間歩の成功、巨額の運上金の献上、さらに家康より受領名「備中」を許されることとなった経緯などについて記載されている。
・『石見銀山歴史文献調査報告書3 安原備中関連史料集』(資料④)には、安原伝兵衛と安原家に関する史料がまとめてある。その中に岡山県下に残る安原備中関連の棟札や金石文について記載されている。また、島根県にある安原備中墓碑や伝兵衛の肖像画等の写真が紹介されている。なお、この資料の中では、「因繁」は伝兵衛ではなく、その子にあたるのではないかと推察されている。
・『石見銀山 9 石見銀山遺跡石造物調査報告書 西念寺墓地(3)・安原備中墓・大光寺墓地』(資料⑤)には、資料④を参考にして、「安原備中墓」とされている石造物について、またその形状について記載されている。
※「田兵衛」の「田」の表記は、資料によって、「田」や「伝」と記載されている。
資料①と③は「田兵衛」表記
資料②、⑤は「伝兵衛」と表記
資料④では「田兵衛」と「伝兵衛」とどちらの表記もある
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国地方 (217 9版)
- 参考資料
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①岡山県歴史人物事典編纂委員会編『岡山県歴史人物事典』岡山 山陽新聞社,1994,1254p. 参照はp.1043.
②小原俊昭『豊洲の歴史』倉敷 豊洲の歴史刊行委員会,2005,127p. 参照はp.75.
③藤井駿『吉備地方史の研究』京都 法蔵館,1971,591p,10p, 図p. 参照はp.486-497.
④石見銀山歴史文献調査団編『石見銀山歴史文献調査報告書3 安原備中関連史料集』松江 島根県教育委員会(文化財課),2007,77p. 参照はp.16-19,24-31,41,42,45-48,52,53.
⑤島根県教育委員会・太田市教育委員会編『石見銀山 9 石見銀山遺跡石造物調査報告書 西念寺墓地(3)・安原備中墓・大光寺墓地』松江 島根県教育委員会,2009,42p,図版10p. 参照はp.33-34.
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①岡山県歴史人物事典編纂委員会編『岡山県歴史人物事典』岡山 山陽新聞社,1994,1254p. 参照はp.1043.
- キーワード
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- 安原田兵衛
- 安原伝兵衛
- 安原因繁
- 安原智種
- 石見銀山
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2013121317164866236
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000154795