レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年09月26日
- 登録日時
- 2019/09/26 12:05
- 更新日時
- 2019/10/02 14:17
- 管理番号
- 170
- 質問
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解決
現尼崎市域にあった大庄村(おおしょうむら、昭和17年-1942-に尼崎市に合併)が村章を制定する経過について知りたい。
- 回答
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現尼崎市域南西部にあった近代行政村の大庄村は、村のシンボルマークである村章のデザインを公募し、昭和7年(1932)7月に定めました。旧大庄村役場文書には「村章制定関係書」という簿冊が残っています。この時期に村が村章を定めた理由は不明ですが、制定経過の一端を確認することができます。
村章の図案は村内在住者を対象に、昭和7年6月末日を締切として募集されました。これに対し、計253件の応募があり、前村長である矢野武一ほか6名が審査員となって、7月21日に審査会が行われた結果、田中平十郎の案が1等賞(賞金15円)に、佐藤琢磨の案が2等賞(賞金10円)、林栄次郎の案が3等賞(賞金5円)に選ばれ、それぞれ賞金15円、10円、5円が贈られました。
1等に選ばれた田中は、デザインの説明として「本村(大庄村)頭字ノ大字を円形に配し、又発展途上にある築港に輻輳する船艦の操舵機にも表現し、以て成功の彼岸に到達せんことを期すものなり」と記しています。「大」の文字を並べて南部の工業地域にひしめく船の舵になぞらえることで村のさらなる発展を願っていました。
1等から3等までの図案は、審査会の翌日に「村章図案懸賞当選広告」として村長から各部落総代に通知されましたが、村会にも昭和7年12月9日に議案「村章制定ノ件」が提出され、徽章(きしょう)としても採用されることが決められました。
なお、図案を考案した田中の履歴は不明ですが、田中が自身や周囲の農業体験について叙述した「道意新田明治大正期の農家生活記録」(上村武男氏文書(1))という資料が残っています。それによれば、田中は道意新田で農業を営むかたわら、呂川という俳号で俳句をよくし、地域での文化活動に関わっていたことがわかります。
村章は、『大庄村誌』(大庄村教育調査会編・発行、昭和17年)のカバーに意匠がほどこされるなど、さまざまに活用されたようです。
- 回答プロセス
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1 以下の歴史的公文書を紹介した。
◆「村章制定関係書」1932年(当館請求番号 旧永年公文書大庄村役場文書45)
村章の制定過程について、「大庄村章懸賞募集」や図案などの記録を綴ったもの。
2 以下の資料を紹介した。
◆「大庄村村章決定議案」1932年(森源逸氏文書、文書群番号088004)(当館請求番号、森源逸氏文書2(1)-14)
森源逸家は大庄村会議員、村長、農会長ほかを務めた。なお、昭和7年の村会関係書は、歴史的公文書としては所蔵していない。
3 考案者である田中平十郎に関して以下の資料を紹介した。
◆田中平十郎「道意新田明治大正期の農家生活記録」1962年(上村武男氏文書(1)、文書群番号105018)(当館請求番号 上村武男氏文書(1)-144-1)
4 以下の文献を紹介した。
◆大庄村教育調査会編『大庄村誌』同,1942年
- 事前調査事項
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なし
- NDC
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- 行政 (317 9版)
- グラフィックデザイン.図案 (727 9版)
- 近畿地方 (216 9版)
- 参考資料
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- 村章制定関係書 (当館請求番号 旧永年公文書大庄村役場文書45)
- 大庄村村章決定議案 (当館請求番号 森源逸氏文書2(1)-14)
- 道意新田明治大正期の農家生活記録 (当館請求番号 上村武男氏文書(1)-144-1)
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兵庫県武庫郡大庄村教育調査会 編 , 兵庫県武庫郡大庄村教育調査会. 大庄村誌. 大庄村教育調査会, 1942.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I046459389-00 (当館請求記号 219/A/オ)
- キーワード
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- 尼崎
- 大庄
- 行政
- デザイン
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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レファレンス事例 尼崎市立地域研究史料館021「尼崎市に合併した各村の村章を知りたい」
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000113011
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000261797
- 関連ファイル