レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年08月16日
- 登録日時
- 2021/01/05 09:14
- 更新日時
- 2021/01/05 09:44
- 管理番号
- 京歴-522
- 質問
-
解決
京都市伏見区小栗栖にある明智藪(明智光秀が討たれた地)の周辺を描いた古い絵図はないか?できれば光秀の時代に近いものが望ましい。
- 回答
-
小栗栖周辺を描いた戦国時代の絵図は見つからなかった。
17世紀の絵図であれば、「小栗栖」、「明智藪」等といった表記はないが、当館で以下の①②等を所蔵している。
『新板平安城東西南北町并洛外之圖』(①) 寛文2[1662]年刊行
http://www.archives.kyoto.jp/websearchpe/detail?cls=152_old_books_catalog&pkey=0000000240 (最終確認日:2020-9-14.)
※絵図の右下あたりに、小栗栖の周辺地域である「六地そう(六地蔵)」や「ふか草(深草)」が描かれている。
『[京繪圖]』(②) 1686年刊行
http://www.archives.kyoto.jp/websearchpe/detail?cls=152_old_books_catalog&pkey=0000002068 (最終確認日:2020-9-14.)
※コマ目番号8の画像。「六地蔵」等が描かれている。
明智光秀が討たれた明智藪を描いた資料として③④がある。
1787年刊『拾遺都名所図会,巻2』(③)に「南小栗栖明智光秀亡滅旧址壇上 本経寺 明智光秀死亡の藪」の図が掲載されている。
この画像は当館の資料・デジタル画像検索システム「京の記憶アーカイブ」で見ることができる(以下のリンクより。分冊番号:2,コマ番号32)。
http://www.archives.kyoto.jp/websearchpe/detail?cls=152_old_books_catalog&pkey=0000000226#1-10 (最終確認日:2020-9-14.)
この図は『新修京都叢書,7』(④)pp.182-183にも掲載されている。
『伏見の古絵図:伏見区誕生80周年記念事業』(⑤)には、伏見区周辺を描いた絵図が複数掲載されている。どの地図も全体の様子はわかるが、文字が小さく、判読しにくい箇所が多いため、小栗栖という表記の確認も難しい。
『京・小栗栖風土記』(⑥)のp.63に、元禄13(1700)年の「元禄山科国絵図」、天保9(1838)年の「天保山城国絵図」の小栗栖周辺の拡大図が掲載されており、北小栗栖村、南小栗栖村等の表記を確認することができる。
- 回答プロセス
-
現在の京都市伏見区小栗栖周辺が掲載されている絵図を探したが、明智光秀に近い時代のものは見つからなかった。
当館所蔵のできるだけ古い絵図で、小栗栖周辺が掲載されている絵図を探し、①②を見つけた。
『京都叢書』の索引を調べ、明智光秀に関連する記述がある資料を探した。
京都市伏見区の歴史・地誌についての本を並べた棚(日本十進分類法(NDC)216.2および291.62,府内地理区分K17)を調べ、『伏見の古絵図:伏見区誕生80周年記念事業』(⑤)、『京・小栗栖風土記』(⑥)を見つけた。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本 (291)
- 参考資料
-
- ①『新板平安城東西南北町并洛外之圖』伏見屋 1662 (当館請求記号:貴||||T29)
- ②『[京繪圖]』 (当館請求記号:貴||||280(資料ID:110922632))
- ③『拾遺都名所図会,巻之2:左青龍首』秋里舜福湘夕[著] 春朝齋竹原信繁畫 吉野屋爲八 1787 (当館請求記号:K1和||291.62||A38||2-1)
- ④『新修京都叢書,7』野間光辰編 臨川書店 1976 (当館請求記号:K0||291.62||7||)
- ⑤『伏見の古絵図:伏見区誕生80周年記念事業』伏見城研究会 2011 (当館請求記号:K17||291.62||F96||)
- ⑥『京・小栗栖風土記』小栗栖自治会編 小栗栖自治会 2016 (当館請求記号:K17||291.62||O26||)
- キーワード
-
- 明智光秀
- 明智藪
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000291970