両地名とも平安後期から室町前期に存在していたことが分かる記述を確認することができませんでした。調査の詳細は以下のとおりです。
(1)「百目鬼」について
以下の資料に江戸時代と明治時代の記述を確認しました。
・『日本歴史地名大系 9 栃木県の地名』(平凡社 1988)
巻末索引にて「百目鬼」を確認したところ、「今小路町」、「杉原町」の項が該当しました。
p.395-396「今小路町」の項に、「明和八年(1771)には(略)百目鬼に家二軒があり(後略)」とあります。
p.400「杉原町」の項に、「元文年間(1736-41)の町方書上帳によれば(略)平右衛門の百目鬼抱屋敷二軒がある。」「明和八年(1771)には(略)支配地百目鬼家数四(略)」とあります。
・『角川日本地名大辞典 9 栃木県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1984)
p.514「すぎはらちょう 杉原町(宇都宮)」の項にも上記資料と同様の記述を確認しました。
・『下野国河内郡宇都宮市中略図』(菊地愛山/画)【貴重資料】
図中に「本願寺」と、その付近の街道に「百目鬼」ではありませんが、「百鬼目」の表記を確認しました。
・『名城宇都宮城 しろとまちの移り変わり』(栃木県立博物館/編、発行 2006)
p.83に、上記「下野国河内郡宇都宮市中略図」が掲載されており、「明治6年6月頃の宇都宮を描いた鳥瞰図」との解説があります。
(2)「田沼街道」について
百目鬼伝説に関連する地域において「田沼街道」に関する情報を確認できませんでした。
調査の過程で、「田原街道」に関する記述であれば複数確認できましたので、ご参考までにお知らせします。
なお、この「田原街道」についても平安後期~室町前期に存在していたことが分かる記述を確認することができませんでした。
・『藤原秀郷 小説・平将門を討った最初の武士』(水野拓昌/著 小学館スクウェア 2021)
p.22「序章 百目鬼 (6)迷路一本道」の項があり、「田原街道と百目鬼通りは直接つながっていないが、百目鬼伝説の地は大曽村の外れとされており、現在の宇都宮市大曽からこの道を北上すると、旧田原村につながる。」とあります。
・『河内町誌 全』(河内町教育委員会/編 河内町 1982)
p.716-「第四章 近代及び現代 二 道路網の発達 大宮街道」の項に、「大宮街道 現在の県道玉生線をいったものである」「大宮街道(田原街道)は(後略)」とあります。
・『うつのみや愛称道路・坂』(宇都宮市建設部道路維持課/編、発行 1989)
No.14「田原街道」の項があります。「起点:上大曽町・競輪場通り、終点:岩本町・河内町境」とあり、位置図が掲載されています。
以下の資料はお調べしましたが、関連の記述は確認できませんでした。
・『東山道 佐野の中道』(須藤清市/著、発行 1982)
・『伝説の将軍藤原秀郷』(野口実/著 吉川弘文館 2001)
・『藤原秀郷将軍』(安木三郎/著 牧歌舎 2006)
・『とちぎ街道ストーリー』(大嶽浩良/監修 下野新聞社 2007)
・『古老懇談会記録 第1集』(河内町誌編さん委員会/編、発行 発行年不明)
・『栃木県史 史料編 近世1』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1974)
・『栃木縣史 第2巻(交通編)』(田代善吉/著 臨川書店 1972)
・『栃木の街道』(奥田久/監修 栃木県文化協会 1978)
・『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州 新装版』(今井金吾/著 JTB 2004)
・『日光例幣使道・奥州道中』(栃木県教育委員会事務局文化財課/編、発行 2011)