調査の過程で、那須疎水と琵琶湖疏の計画には「三島通庸」と「南一郎平」の二人の人物が共通して関わっていることが明らかになりました。
計画の具体的な接点は確認できませんでしたが、以下、両者に関する記述を確認した資料を紹介します。
・『近代を潤す三大疏水と国家プロジェクト 安積疎水・那須疎水・琵琶湖疏』(那須塩原市那須野が原博物館/編集、発行 2009)
那須塩原市那須野が原博物館の特別展の図録です。那須疎水と琵琶湖疏それぞれの歴史についての記述や図版の掲載があります。
第2章 那須野が原を潤す那須疏水(p.53-86)
「那須疏水工事に当たっては、内務省土木局の直轄工事として行われた。土木局員として、内務省権少書記官である南一郎平(内務省土木局課長)を筆頭に、(中略)が局員として工事に当たった。」(p.57-58)
第3章 京都を潤す琵琶湖疏水(p.87-126)
三島通庸が「琵琶湖疏水に反対する籠手田〔滋賀〕県令を飛ばして中井〔弘〕県令に首を挿げ替えた」とする説があると書かれています。 (※〔 〕内は補記)
また、南一郎平についても、京都府の北垣知事が農商務省へ赴き、南一郎平の疏水調査を依頼したこと、工事にあたって南一郎平に「監督員」依頼したことが書かれています。(p.90)
三大疏水関係人物一覧(p.130-137)
三島通庸と南一郎平の写真・紹介文が掲載されています。(p.131)
那須野が原主要農場一覧(p.138)
「肇耕社」「三島牧場」の実質的開設者の欄に「三島通庸」の名前があります。
・『明治の開拓と那須疏水 水は荒野をうるおす 改訂版』(西那須野町郷土資料館/編集、発行 1992)
2 殖産産業と那須野が原の開拓(p.19-40)
三島農場についての説明、写真があります。(p.29-30)
3 那須疏水 (p.41-58)
明治18年4月15日、南一郎平が那須疏水の起工式に列席したことが書かれています。(p.44-45)
また、北垣国道が京都府知事に着任後、琵琶湖疏水計画をたて、南一郎平に水路目論見書を依頼したことが書かれています。(p.55)
那須野ヶ原の開拓にかかわった主な人々(p.95-101)
三島通庸と南一郎平の写真・紹介文が掲載されています。(p.96)
・『那須疏水百年史』(那須疏水百年史編さん委員会/編 那須疏水土地改良区 1985)
第七章 那須疎水の開削(p.265-368)
南一郎平が那須疎水開削後に、琵琶湖工事に着手したとあります。(p.273)
第十四章 那須疏水の先達と顕彰(p.895-952)
「南一郎平」の項に、安積疏水、那須疎水、琵琶湖疏水を手がけたとあります。(p.940-942)
・『那須疏水』(田島董/編 那須疏水土地改良区 1956)
第2章 那須疎水の開さく(p.44-92)
「四、疏水課長南一郎平」に、南一郎平が那須野原開墾工事と琵琶湖工事に関わっていたことが書かれています。(p.69-73)
その他お調べした那須疎水に関する資料は次のとおりです。
・『那須疏水写真百年史』(那須野ケ原開拓史研究会/編集、発行 1985)
・磯忍/著「那須疏水開削の経過とその考察」(『那須野ケ原開拓史研究 1』(那須野ケ原開拓史研究会/編集、発行 1975)
■ 山縣有朋の別荘について
琵琶湖疏水近郊の別荘(無鄰菴・京都府京都市)と那須疎水近郊の別荘(現山縣有朋記念館・旧古稀庵・栃木県矢板市)について、お求めの情報は確認できませんでした。
山縣有朋記念館は、元は神奈川県小田原市古稀庵内に建てられていた洋館で、大正12年(1923)の関東大震災の際に有朋ゆかりの山縣農場内に移築したものとのことです。
参考までにお調べした資料の一部をご紹介します。
・『元勲・財閥の邸宅』(和田久士/写真,鈴木博之/監修 JTBパブリッシング 2007)
「無鄰菴(旧山縣有朋別邸)」(p.10-15)、「古稀庵(旧山縣有朋別邸)」(p.16-20)
・『明治の洋館24選 関東の名建築を訪ねて』(淡交社 2009)
「山形有朋記念館」(p.14-17)
<関連サイト>
・「県指定文化財「山縣有朋記念館」が修復されました」(矢板市公式サイトより)
http://www.city.yaita.tochigi.jp/soshiki/syougaigakusyu/yamagataaritomosyuuri.html(最終アクセス日:平成29年1月13日)
・山縣有朋記念館(公式サイト)
http://general-yamagata-foundation.or.jp/index.html(最終アクセス日:平成29年1月13日)
・「無鄰菴」(公式サイト)
http://murin-an.jp/(最終アクセス日:平成29年1月13日)