レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20201111
- 登録日時
- 2021/02/06 00:30
- 更新日時
- 2021/02/27 10:39
- 管理番号
- 0000201566
- 質問
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解決
村田八幡宮に関する資料はありますか。
- 回答
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次の資料に記載がありました。
(1)『鳥栖市誌 第5巻 生活民俗編』 鳥栖市教育委員会/編 鳥栖市 2009
p.330 「57 八幡神社(村田町)」 明治3(1870)-4(1871)年『神社明細書控』に村田村鎮座・八幡宮とあり。村田八幡宮の縁起によれば村田領主の村田石見が、屋敷の榎に八幡神の使者である鳩が集まり、朝日山の方へ飛び去るのを見て主君筑紫惟門に知らせ、惟門は神社を朝日山南麓の現在地に移したという。
(2)『佐賀県の地名 日本歴史地名大系 42』 平凡社 1980
p.104 「村田八幡宮(鳥栖市村田町)」 村田町の高台に鎮座する八幡神社。祭神は応神天皇・玉依姫命・筒男命・菅原道真・豊玉彦命・保食神。
(3)『鳥栖の民俗』 佐々木 哲哉/著 鳥栖市役所 1971 p.107-111 「村田八幡宮」
p.107 宝永3(1706)年の記録と推定される。『村田八幡縁起(写)』によれば、村田八幡宮はもともと江島村石王というところに豊前国宇佐より勧請したとあるので、村田庄の鎮守神であると明白である。
p.109-111 (資料2)『村田八幡縁起』(前文由緒略)
p.110-111 (注1)村田八幡神社蔵。前半の縁起を記した個所にかなり虫喰いのため判読しにくいところがある。勝尾落城のおり、村田八幡宮祀三角左馬之丞と云う者が御神体・縁起を持って宝満山に難を避け、戦乱後縁起を同所の宿坊へ預けて帰ったが、その後縁起を受け取りに行った時に返して貰えなかったいきさつが記されている。
p.111 (注2)『村田八幡縁起』の後尾の部分の記載あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 九州地方 (219)
- 参考資料
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(1)鳥栖市教育委員会/編集 , 鳥栖市教育委員会. 鳥栖市誌 第5巻. 鳥栖市, 2009.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I020651298-00 -
(2)佐賀県の地名. 平凡社, 1980. (日本歴史地名大系)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I065012825-00 -
(3)鳥栖市史編纂委員会/編纂 , 鳥栖市. 鳥栖の民俗. 鳥栖市役所, 1971. (鳥栖市史研究編 ; 第4集)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I021330049-00
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(1)鳥栖市教育委員会/編集 , 鳥栖市教育委員会. 鳥栖市誌 第5巻. 鳥栖市, 2009.
- キーワード
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- 村田八幡宮
- 鳥栖市
- 村田町
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000293539