レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年02月15日
- 登録日時
- 2013/12/26 13:00
- 更新日時
- 2014/02/07 14:04
- 管理番号
- 堺-2013-005
- 質問
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解決
軍人の墓は先が尖った形をしている。なぜか?
- 回答
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1874年(明治7年)、陸軍省が「陸軍埋葬地ニ葬ルノ法則」により階級により墓碑の規格を統一した規定を制定した。それ以後、四角柱に頭部が方錘型の形態になった。なお、1886年(明治19年)の海軍省令のなかには頭部が方錘系である墓石を図示したものがある。軍隊入営中に死去した者の墓碑を立てる際には、国や軍隊からの指導があったと思われ、先祖代々の墓ではなく、特有の形の墓に葬られた。
頭部を方錘形にした理由は剣先を模したという説、儒教や神道の影響、木柱の先頭の腐蝕を防ぐために四角錘状に切った形をとり入れたなど諸説ある。
- 回答プロセス
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以下、参考資料よりの引用文
1.『陸軍墓地がかたる日本の戦争』小田康徳、横山篤夫、堀田暁生、西川寿勝/編著、
ミネルヴァ書房、2006年
第1章 軍隊と兵士‐さまざまな死の姿‐ 横山篤夫
「1874年(明治7)10月、陸軍省は「陸軍埋葬地ニ葬ルノ法則」により階級による墓碑の規格を統一した規定を出す。それ以後、四角柱に頭部が方錐型の形態になる。」「墓標は木柱が原則だが、軍の規定の費用以下でできるのなら石柱を使ってもよい、ということだった。」「墓碑の経常が四角柱である理由は木柱の形状を模したものと思われる。規定では頭部の形状については述べていない。頭部を方錘系に統一した理由は、剣先を模したという説や儒教や神道の影響、という説もある。筆者は木柱の先頭の腐蝕を防ぐために四角錘状に切った形を石碑に取り入れたためと考える。検討課題の一つである。」「なお、1886年(明治19)6月の海軍省令のなかに墓石を用い、その頭部は方錘系で台座の寸法などを図示して規定したものがある。」P.27-28
2.『さまよえる英霊たち』田中丸勝彦/著、柏書房、2002年
「陸軍省は昭和14年2月、陸普第1110号副官通牒「支那事変に関する碑表建設の件」において、(中略)戦没者の喪葬に依る永久の名誉顕彰は、忠霊塔及陸海軍墓地合葬に依るが如く指導すること と指導している。このデザインは公募し、志士の墓碑に酷似したものが合格した。「神道の墓」と呼ばれる形状である。」「国殤の墓碑が、規格品のように同じ形をしているのはこのためである。まだ法令や達の確認はできていないが、クニや軍隊の、直接・間接の個人の墓碑の意匠や祭祀への”指導”があったのであろうとおもわれる」P.100-102
3.『国民軍の神話』原田敬一/著、吉川弘文館、2001年
「国民軍の誕生は、「臣民の義務」として徴兵された民衆が、入営中に死去すると村に帰ることは許されず、陸軍か海軍の管理する墓地に葬られることをも意味した。しかも、その葬り方は次のように、生前の軍隊機構とともに死を生きることをも強制された。」P.216 として、「陸軍省の規定」が記述される
4.『神事の基礎知識 新版』藤井正雄/編・著、講談社、2001年
「棹石の(中略)上部は、平面もしくは中央から四辺に向かって傾斜する形のものがあります。戦前から、神道を信仰する家で多く用いられ、軍人の墓がこのタイプで祀られることが多く、神道碑の名前がつけられました。」P.107
5.『「お墓」の誕生』岩田重則/著、岩波書店、2006年
「第一には、戦死者の「お墓」には死者の個性がきわだっていることである。戦死者の「お墓」はたとえ遺骨がなくとも、たいていひとりひとりに対して立てられている。」「第三には、(中略)戦死者の「お墓」は祈念の対象だけではなく、記念のための石造物としての性格をも持つことである。」P.194-196
6.『国立歴史民族博物館研究報告 第102集』国立歴史民族博物館、2003年
「陸海軍墓地制度史」原田敬一 P.97-160 「陸軍埋葬地ニ葬ルノ法則」等、埋葬規則について原文がある。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 上記のとおり
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000142424