レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年05月27日
- 登録日時
- 2011/08/05 02:01
- 更新日時
- 2011/08/11 19:01
- 管理番号
- 堺-2011-001
- 質問
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解決
堺にある南宗寺(なんしゅうじ)には、かつて塔頭(たっちゅう)が数多くあり、その中のスンショウ庵(漢字わからない)に紀貫之筆の色紙がたくさんあったらしい。10cm四方の大きさで、襖に飾りとして貼り付けてあったそうが、戦国時代に松永久秀に奪われて散逸したと聞いた。現在はあちこちの美術館が所蔵しているらしい。このことについて書いている資料はあるか。
- 回答
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『かな古典の学び方』 2 寸松庵色紙・継色紙 (二玄社) によると、紀貫之筆とされる色紙は、「寸松庵色紙(すんしょうあんしきし)」と呼ばれている。今の色紙とは違い、方形の料紙を二つ折りにして重ね、糊付けした粘葉装(でっちょうそう)の冊子本だったらしい。それをばらばらにして、南宗寺の襖に36枚貼ってあった中から12枚を、武将で茶人の佐久間将監真勝(さくましょうげんさねかつ)が入手。京都・大徳寺塔頭の竜光院(りゅうこうあん)に建てた自らの菩提寺、寸松庵に伝えた。
「寸松庵色紙」の名称はこの由来によるもので、寸松庵以外に伝来したものも同様に呼ばれている。筆者は紀貫之とされているが確証はなく、研究者はだいたい11世紀末の筆と推定している。
「寸松庵色紙」は、上代古筆の中でも、際立った美しさをそなえ、散らし書きの絶品として評価が高く、小野道風(おののとうふう)筆とされる「継色紙(つぎしきし)」、藤原行成(ふじわらのゆきなり)筆とされる「升色紙(ますしきし)」と合わせて「三色紙(さんしきし)」と呼ばれている。
松永久秀に奪われ…という逸話はどの資料でも確認できなかった。東京国立博物館、野村美術館、五島美術館、湯木美術館、藤田美術館、MOA美術館、逸翁美術館、畠山記念館、遠山美術館などに収蔵されている。
インターネットの東京国立博物館やMOA美術館の公式サイトで、寸松庵色紙の画像入り解説を見ることができる。
- 回答プロセス
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かつて南宗寺にあったとのことだったので、『南宗寺史』(南宗寺 1927年)や、『堺寺院記録』(堺市 1902年)の南宗寺の項を確認してみたが、色紙についての記述は見つけられず。Googleで「南宗寺」と「紀貫之」を掛け合わせて検索してみたところ、Wikipediaの「三色紙」がヒット。質問の色紙は「寸松庵色紙」と呼ばれていることがわかった。
そこで「三色紙」や「寸松庵色紙」で書誌検索したところ、『かな古典の学び方』 2 寸松庵色紙・継色紙(二玄社)、『書道技法講座』 31 寸松庵色紙(二玄社)、『かな古筆美の研究』 3 寸松庵色紙篇(同朋舎)、『三色紙小字典』(木耳社) など書道関係の本にいろいろ記載があった。ただ、書道の本なので、字体や書き方についての内容が大半で、由来や経緯についてはあまり詳しく載っていない。寸松庵色紙には、古今和歌集四季の歌が一首ずつ書かれているらしい。ちなみに寸松庵という名前は、庵の前庭一面に小松を植えてあったところから名付けたとのこと。
- 事前調査事項
- NDC
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- 書.書道 (728 8版)
- 参考資料
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- 『かな古典の学び方』 2 寸松庵色紙・継色紙 日比野光鳳/編 二玄社 1991年 (728.5)
- 『書道技法講座』 31 寸松庵色紙 杉岡華邨/編 二玄社 1987年 (728.08)
- 『かな古筆美の研究』 3 寸松庵色紙篇 安東聖空/著 同朋舎 1981年 (728.5)
- 『日本名跡叢刊』49 平安、寸松庵色紙 小松茂美/監修 二玄社 1981年 (728.21) (この資料にも詳しい由来が載っていると、京都市醍醐中央図書館様から教えていただいたが、当館未所蔵のため確認できず。)
- キーワード
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- 寸松庵色紙
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000089649