レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/5/8
- 登録日時
- 2018/07/28 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:33
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-000645
- 質問
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解決
【参勤交代・江戸三度飛脚の移動経路・距離について】 1.加賀藩の参勤交代で、上街道から中山道を経由するルートの移動距離が660kmで、東海道を経由するルートの移動距離が600kmとあるが正しいのか。距離が逆に書かれているものもある。
2.江戸三度飛脚の移動距離が570kmであると書いている小説があるが、下街道経由のルート(約480km)が最短ではないのか。
3.忠田敏男『参勤交代道中記』では、参勤の93回交代97回と記されているが、参勤と交代の回数に差が生じるのはなぜか。
- 回答
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1.『参勤交代道中記』(118310786)では、「第五章一(一)参勤交代の三コース」p.124-126に中山道経由660km、東海道経由600㎞と記されている。
2.江戸三度飛脚の移動経路は、以下より下街道を利用していることを確認できる。
・『江戸三度』(118570426)p.8「江戸三度の飛脚の歩の規定は金澤と江戸との間所謂下街道の道程を百二十里半即ち四千三百三十八丁、一時に付き平均二里八丁内外と決定してあった」と記述されている。
・『三都と金沢』(11931499)p.72「金沢~江戸間百二十里を下街道を経由して往来した」と記述されている。
なお、下街道経由で移動した場合の一般的な距離は、120里前後(約480km)で記されている(上記『参勤交代道中記』では119里余り、『江戸三度』では120里半、『三都と金沢』では120里と記載されている)。
質問者が読んだ資料には、金沢尾張町の会所と江戸本郷の会所までの距離がおよそ145里(約570km)であるが、飛脚が随所で近道を通るため121里(約475km)であると定めたと記されているが、当該記述の典拠は確認できなかった。
3.『参勤交代道中記』p.37、39の表より、参勤と交代の回数に差がある藩主は、6代吉徳、9代重靖、12代斉広、13代斉泰であることが確認できる。
『加能讀史年表』(118561051)より参勤と就封の記事を確認したところ、それぞれ以下の要因で就封が1回多くなっていると推定される。
6代吉徳…帰国後、金沢で死去。
9代重靖…帰国後、金沢で死去。
12代斉広…金沢に帰国後、江戸に隠居願を出し、そのまま受理
13代斉泰…金沢に帰国時に、文久2年の参勤交代の制度緩和がなされた。
なお、表中に14代慶寧が含まれていないため、斉泰が隠居した慶応元年頃の出府・帰国は同書の集計では含まれていないものと思われる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000239672