レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006/11/14
- 登録日時
- 2007/04/12 02:11
- 更新日時
- 2007/04/25 10:27
- 管理番号
- 埼熊‐2006‐076
- 質問
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解決
元禄年間(1688-1703)における島流しについて、島流しとなった罪人の家族はどう扱われたのかを知りたい。特に、罪人が妻帯者であった場合の妻の扱いについて。共に島流しとなったのかどうかなど知りたい。
- 回答
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「島流しは遠島(えんとう)ともいい、死刑につぐ重刑で、過失殺、博奕の主犯、女犯の住持などに科された」(『国史大辞典』〈遠島〉の項より)。流人の生活については、『八丈島流人銘々伝 増補三訂』(第一書房)や『江戸時代流人の生活』(雄山閣)に詳しく、「流人に対して、付添人や子供が随従することは許されていたけれども、妻が従うことは許されなかった」こと(『八丈島流人銘々伝 増補三訂』p16)、「流人は掟の上では公然と妻帯することは許されなかった」こと(『江戸時代流人の生活』p117)などが記されている。
また、犯罪人の親族にも刑事責任を負わせる制度を「縁坐」といい、江戸時代前半期には、主殺しのような重罪の場合は父母兄弟一族に至るまで処刑された。夫が牢抜けをしたということでその妻が遠島(流罪)となった事例、つけ火をした疑いで逮捕された夫が取り調べ中の牢内で死亡したために妻が遠島となった事例などが、『日本の近世 15 女性の近世』(中央公論社)p17-38に詳述されている。「江戸初期は戦国の気風とその後遺症が根強く、罪人の妻子までもが痛々しい引きまわしにされた」(『江戸時代生活・文化総覧』p324 新人物往来社)との記述あり。
- 回答プロセス
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〈遠島〉〈縁坐〉〈島流し〉〈流刑〉などをキーワードに、近世史・近世の刑罰史・女性史などに関する資料を探索した。
流人の生活については、下記の資料に詳しい。
『江戸時代流人の生活』(雄山閣)
『八丈島流人銘々伝 増補三訂』(第一書房)
「島流しの実態」(『歴史読本 2002.10』p194-199)
- 事前調査事項
- NDC
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- 刑法.刑事法 (326 9版)
- 参考資料
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- 『国史大辞典』〈遠島〉〈縁坐〉の項
- 『八丈島流人銘々伝 増補三訂』(第一書房)
- 『江戸時代流人の生活』(雄山閣)
- キーワード
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- 遠島(エントウ)
- 島流し
- 流罪
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000034519