ご質問の世界国歌コンクールに関連のありそうな記述はいくつか見つかりましたが、コンクールについて、詳しい記載のある資料は見つけられませんでした。
ご参考までに発見した記述をお知らせします。
➀『日本の唱歌(上)』1977とほぼ同じ記載がある資料
「歌曲の履歴書 第12回 『君が代』」小出浩平著(『教育音楽・小学版』14(8)1959.8
『君が代史料集成第1巻』大空社 1991 <767.51/ 3/ 1 >( 20383782 ) p267~270所収
「二、林広守の君が代」の「ホ 君が代について」に
「明治三十六年(?)ドイツにおける世界国歌コンクールには「荘重にして民族性を遺憾なく発揮した優美なもの」として一等であったといわれている。あまり外国のものをほめない英国人も、君が代については天上の音楽であるといったということである」という記載がある。(p268)
②山田耕作の証言
「山田耕作氏が若くしてドイツに留学していたときのことだそうだが、その頃、ドイツの大学の音楽教授たちが、世界のおもな儀礼曲について品定めをしたことがあったという。その結果、第一位にあげられたものは、実に君が代曲であったそうである。この話は、芝祐泰氏が、山田氏から直接に聞いたものだと、わたしに聞かせてくれたのである」(p243)
『日本国国歌正説』佐藤仙一郎著 全音楽譜出版社 1974 <767.5E/ 46 > ( 11765260 )
③田辺尚雄の話
「国歌「君が代」の論」昭和三十五年 高崎正秀著
P.255「田辺尚雄教授のお話では、先年ベルリンで世界的な音楽家や音楽評論家の集りの席上、世界各国の国歌を次々に演奏して検討して見た結果、さて何処の邦の国歌が一等すぐれてゐるか、といふことを吟味しあったさうですが、矢張「君が代」が一番立派だといふことに衆口一致、折紙がついたといふことでありました。」
『国歌君が代の研究』小田切信夫 著 平凡社 1965 P251~P.256所収
④田辺尚雄による記述
『明治音楽物語』田辺尚雄 著 青蛙房 1965<762.1/22>(11756335)
P88~P107「八、国歌『君が代』の話―作曲者奥好義の名は忘れられている―」
P.110「大正時代にドイツ国に於いて最高の音楽家達が集まって世界中の国歌について検討したことがあった。そのときの結論として、日本の国歌『君が代』が国歌として世界最高であると折紙をつけた。」
『日本音楽』15(6)(136)1960(国立国会デジタルコレクション参加館限定送信資料
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2236586)資料
P.1~3「君が代の音楽的問題」田辺尚雄」」
p.2上段「大正年間にドイツのベルリン大学で、音楽学者が多数寄って世界中の国歌の優劣を検討した結果「日本の国歌「君が代」が国歌として世界最高のものである」という結論を得てそれを発表して当時の世界を驚かした。」
⑤その他
「日本の国家」昭和三十二年 桝源次郎(元タゴール大学教授・音楽評論家)
P.245「かつてドイツの大学で、世界国歌研究会が行われ、各国の国歌の歌詞曲調が論議されたとき、日本の国歌「君が代」は最高点の賞賛を博しているのである。(略)日本の国家「君が代」は国歌の無限の将来を希う気高い平和に満ちた歌詞であり、それにふさわしい典雅な曲調であると賞讃されたのである。」
『国歌君が代の研究』小田切信夫 著 平凡社 1965 P.244~P.247所収
なお『 講談社日本人名大辞典』2001によると、山田耕筰は1886年生まれ、田辺尚雄は1883年生まれでほぼ同時代の人物です。山田耕作は1910年-1913年の間ドイツに留学しています。